個人は低スペックで下級国民であることを自負しています。しかし、心、精神は大いに豊かで在ると振舞っているのでございます。


人様によりましてはそのキ○ガイじみた考えで貧しい生活の身の上で精神が豊かになろうはずがないと思われるでしょうが、本当の豊かさとはなにもなくても良い、幸せだと感じられる気持ちがあることではないかと少し前から考えられるようになりました。


左様、かつて個人とはあまりに違い過ぎて話を持ち出すのはいかがなものかと思われますが、かのソロモン王が神様から物質ではなく「知恵(=心)」を所望されたのかなんとなく分かるような気がします。後年ソロモン王は堕落したにせよ、目に見える現状、環境がどうであれ(決して適当で良いとは思いませんが)何事においてもありがたい、嬉しいと思う、感じる気持ちがあればそれで満足ではないかと。


ですからスペック、仕事、年収、お金、物質的な事象はなんとでもなるのではないかと感じるようになり心中で感じていたざわつきが減ったようです。


目に映る事象に色々ざわつきを覚えていては、心身が疲弊してなにもかも嫌になって悪くなる世界に住むことになりますが、自身がありがたい、幸せだと感じていればどうでしょうか。不足を補おうと苦しまなくて済み、穏やかに生きていけそうだと個人は思っております。


ですから、お金、お金、お金、お金、お金お金お金………このざわつきが少し消えました。嘘ではございません。たくさん得ることを目的にしていては少なくとも個人は疲労しますし虚しくて、違和感があり、それをたくさん得てなにをするの? と冷たい反応が心にあります(強がってはいません)。


地球、宇宙とともに我々は在りますが、その世界で大金を得ました云々と引き寄せの成功例は大概こちらに終始しています。しかしそれから先の世界は? と個人は思われてならないのです。


低スペックで十分です。それでもありがとうございます、と思いありがとうと言葉を口に出します。

穏やかで良い気分で毎日過ごすことができれば、これほど素晴らしいことはないと存じますがいかがでしょうか。

環境的には個人は全く下級でしょうが、それでも少しは豊かな気持ちは持ち合わせることができました。貧しさ、借金がある現状に○ぬほど嫌で辛いと感じなくなりました。独身で万年片思いが苦しい寂しいという感情は薄くなりました。


これは解脱というのでしょうか。