個人が偏屈だからでしょうか、週末のドヤ街で見かけ、すれ違う人様を拝見しては、人間はそれほどまでに楽しく遊びたい生き物だろうかと最近深く考えることが多々あります。


何故、徒党を成して遊びたいのか。

何故、○宿のように申し訳ございませんが汚い雰囲気のある街に好んで行こう行こうと歩みを進めているのか。

何故、弾けたいのか。


個人は全く分からない、理解したくないのでございます。(しかし、一方で個人は全く取るに足りない実につまらない単細胞で愚物以外の何者でもないのでございます。)



その決して迎合しない大衆的風俗習慣があるいは経済を豊かにして回しているのかもしれませんが、根底に常に早く夜にならないだろうか、早く酒を女性(にょしょう)と呑みたい、店に行きたい、デートしたい……と全く個人的には浅はかな思考のもとドヤ街を闊歩している人を見ては、定めし楽しかろうが、本当に楽しいのか……と至らぬ世話ながら勘繰ってしまうのでございます。


日々の人間の営業はなにを成すのか、結局各々が描く幸せを追求せんがためのものでしかなく、全体などあってないようなものだと。


世の中は実に儚い、幻だといわれるのが○宿や池○の行き交う人を拝見して感じられてならないのでした……。