12月6日に愚父が○去しました。

次の日の22時前に愚母から電話がありました。

とうとうこの日が来たのかと。


酒癖が悪くて幼少期随分と理不尽な目に遭わされてきたので心の距離感は個人が作りさらっとした関係に終始したように思います。

船員だったので夏期に個人の夏休みと合わせて帰省してくるのも正直鬱陶しく、このことが嫌だった感情が時折生々しくぶり返し感じてしまい父に悪いですが嫌悪感を抱くのでございます。

とにかく酔った時の父の在り方が受け付けなかった、好きになれなかったこの思いが抜け切れず最期まで深く付き合えなかったのではないか、これに加えて個人が今まで人様からされてきたことが色々あって齢を重ねて余計に実家にいた時なぞ話そうともしなかった ー耳が遠かったゆえに余計にですー ので、出来損ないの悪い息子よと我ながら思うのでございます……。


酔った時にされたことが忘れられず、適度に距離を置いて関わってきた父とは江戸出府になって(といい方で書かせて下さい。)この4年間全く電話で会話もしていませんし、顔も見ていません。


一抹の後悔と申し上げるよりは、当たり前に見ていた父がもういなくなった、骨になって翌1月15日には四十九日になるのかという事実が有るのかと重く捉えてしまいます。


この1年少しの間、好きな焼酎もドクターストップがかかり我慢してようで、また難聴で不調だった毎日からも解放されて嗚呼良かったね、と心中呟いて生活しています。


個人の日々の仕事の関係と例の蔓延している病気で実家で葬儀関係は一切やってくれるといわれて、申し訳ないながらも、あら、そう、となってしまいました。


個人が余り人付き合いをしないので、大人になってからは深く関らず最低限な関係に終始して、互いに良かったのではないかと思います。

個人の中ではこれでなにか一区切りついたように思いました。