左右の足の裏をくっつけて坐って描かれている衣冠束帯姿(いかんそくたいすがた)の肖像画が昔から気になっていました。








時代劇では全く持って見かけない坐り方ですから、これは画の世界だけの空想上の坐り方であって大きく見せるようにする為に描かれているのだろうか、と思っていました。


実際羽柴筑前などは生来小柄ゆえに絵師に大きく描けと命じたそうですから。






ところが足の裏を合わせて坐るのは、実際礼法で楽坐(らくざ)という正式な坐り方が定められているそうで初めて知りました。



説明には衣冠束帯着用時の「坐法の基本」だそうです。

時代劇の考証からすれば衣冠束帯姿の場合本来なら楽坐をすべきでしょうが、そこまで求めるのは酷でしょうか。

時代劇で衣冠束帯姿では胡座か正座されていると思いますが少なくとも江戸時代以前を描いた時代劇での正座は間違い、ということになるのでしょう。


胡座は安坐(あんざ)であり足を軽く重ねている姿を肖像画では描かれているのを見かけます。




(織田右大臣家の髭が唯一ない肖像画。珍しいですね。偶々目につきました)

今一般的に流布しているように内側にくる足は太ももに沿っておさめるのではなく、自然と上下に重ねる坐り方だったのかもしれません。今では長時間この楽坐をしている人は殆どいないのではないでしょうか。

更にルールとして足の裏は人がいない方向に向けるようにしなければならない且つ、下座側の坐り方だそうで、昔は厳しく定められて厳守していたことが想像されます。この辺りも時代劇の所作として徹底してくだされば凄いと思います。


しかし、この2種類の坐り方はきついでしょうね。慣れれば苦ではないと説明にはありますが。




最後にグーグルで画像を色々検索していて偶々家康公の蝋人形が目に留まりました。




こうして拝見すると身近に感じられます。最後の画像などまるで生きていらっしゃるかのよう。

「ささ、大御所様、1枚撮りまするぞ。では、参らん。」というやりとりで撮ったような感じですね。生々しいです。

山村聰さん、あるいは三國連太郎さん、加東大介さん、金田龍之介さんに近いお顔付きだと思います。津川雅彦さんにもなんとなく雰囲気が似ていますね。

津川雅彦さんの「葵三代」の家康は、いささか喋り過ぎで快活過ぎるようでした。
ただ、「伊達政宗」でのその役は沈鬱とした雰囲気、寡黙さがあって司馬遼太郎さんが描く家康に近かったように思います。


どうでも良いことですが長らく坐り方が気になっていて漸く解決しましたので忘備録として留めておきます。