今日は帰りがけ、ある紳士がケーキを膝の上にのせていらしたお姿を電車内で拝見しました。

微笑ましく思い、良いクリスマスをご家族と過ごせますように……と気持ちを送りました。

何気ない風景でしたが、温かい気持ちにさせられて幸せになりました。


それに比べて当方は……何にも無い、いつも通りの毎日のリズムでした。 



捻くれた考え方ですが、この日に沢山の食べ物が作られて販売されて、動植物の尊い命が犠牲になっていることを1人感じました。すみません。

ですから、最近食べていないのだから、偶にはよいではないか、さあ、お店に参られたし、ともう1人の私は声をかけず、今日だからこそ動植物の供養がてら何も食べないで過ごすべし、と心中誓ったのようでした……。

クリスマスに予定が無い、甲斐性がなくてもてない個人の僻み、といわれればそれまでですが、いつも以上に沢山の食べ物が出回っている今日の日ゆえに食べるを慎む……。

書きながら私は変態、狂人の類なのではないか、と苦笑して参りました。


その沢山の犠牲を密かに弔う人間がいても良いのではないでしょうか。

最近、食べない(といってもジュースと人間チュールと称してタルタルソースと練乳を舐めてその日の糧としています[気持ち悪いでしょうが事実です])生活をして身は軽くなりましたし、集中力が増して、より動けるようになったと以前申し上げましたが事実です。


食べる、ということは極端でしょうが、命を奪う、ことになります。更に申し上げますと罪になることを人間は知らず毎日毎日犯して生きているわけです。どなた様でもです。

少しでも個人は軽い人生を歩みたく、食を減らしています。


皆さんはクリスマスをお祝いすればよいのです。それだけの徳があり、神様から与えられた祝福だと思います。個人は捻くれているせいか、最近は水野南北師の思想が胸を打ち、少しずつ実行しています。

決して罪を犯している愚か者どもだとは全く思いません。それは個人個人生きる世界が違いますから。感じ方も多様でしょうから。



以前にもこちらのご本は紹介いたしました。



スーパーに食品として並ぶ前の過程を慮ると、お金を出して毎日3食無為に食べることはできず、犠牲になった動植物のことを密かに考えても良いのではないか、そのような変人が1人くらい居たとて構いはしないのではないか、とクリスマスに思いました。

さらに……売り残ったケーキや七面鳥のことを思うと辛くなります。

物事の本質を知らず、お金で回る人間の社会の愚かさと儚さ……その中で私も恩恵に預かって生かせてもらっているという辛さの矛盾……。

早く卒業したいと思うこともあります。