静岡に行ったお話の続きです。
さて、静岡駅に着いて目的のタワーレコード静岡店さんの開店まで約1時間。
近辺になにがあるのだろう。
携帯にある地図のアプリで確認すると、一橋慶喜卿の屋敷跡、さらに徳川家康公の駿府城公園が近辺にあることを知って、時代劇の好きな私は密かに興奮しました。
葵紋の門幕が目に留まり、なんて雰囲気があるのだろうと感動しながら近くにいくと、「浮月樓」とあり、まったく無知ですみませんが恐らく高級料亭ではないかと思います。
おお! 将軍家から身を引いて、明治政府からこの地をあてがってもらった一橋刑部卿が住んでいた所かと感慨深くなりました。
静岡「縣」から年間1億数千万円の予算が徳川慶喜家には補填されていたそうです。
お亡くなりになるまで予算がおりたと思います。
その後の一橋慶喜卿は、写真に油絵、網打ち、等々趣味三昧の日々をお過ごしになられましたが、当時超高級だった自転車を静岡で初めて所有された御仁だったと本で読んだ記憶がございます。
日本でも何番目かに自転車を所有された御仁だったのではないでしょうか。
テレビでは確かその当時の自転車は1億円近くした⁈、とありました。まさかとは思いますが誰彼となく乗れるシロモノではありませんでした。
研究熱心でかつ、稽古熱心な一橋刑部卿でしたから何度も自転車の乗車の稽古はされたことは想像に難くありません。
ただ、フランス語は何度稽古されてもマスターできなかったそうです。
色々一橋慶喜卿に思いを馳せながら浮月樓のご立派な門構えを拝見しました。
さて、静岡パルコ開店までまだ時間がございますから足を伸ばして駿府城跡を少しだけ散策しました。
あくまでも目的はタワーレコード静岡店さんに行き商品を購入すること(なんて寂しい話でしょう……。せっかくの旅が……)ですから、一眼見ておこうと思いました。
私は徳川家に縁もゆかりもございませんが、時代劇が好きな人間ですので、静岡では今でもところどころに葵紋が見れ、徳川家を大切にされている姿勢にとても嬉しく思いました。
また、思いを馳せます。駿府城は幕府にとって要のお城であり、東海道を制する、見張る役を果たしていたのだろうと。
詳しくありませんが、家光公の弟、大納言忠長卿
以来将軍家親族が城主になることはなかった。家康公の晩年の居城だったにもかかわらずなぜだろうと。
尾州徳川家が目と鼻の先にはあり、江戸にも近い。駿府城をそれほど強く思わなくなった、あるいは忠長卿の一件以来将軍家親族に任せることをなんとなく避けていたのではないか、由比正雪のことも続いたので……と思いました。
長くなりますから、一旦切ります。
結局、静岡まで行って、散策したのは2つ史跡と神社だけです。当初の予定でしたら浜松まで足を運んで橘逸勢神社まで行きたかったのですが、時間の都合があり辞めてしまいました。
国府津駅で下車せなんだら、行けたかもしれませんが無理したくないので自重しました。
気晴らしにはなりましたし、実際に史跡を見ることができましたので有意義でした。
一方で、人混みが苦手ですから無理して外出する必要もないのではないかと思いました。