モーツァルトの交響曲第29番イ長調K.201 は、以前よく聞いていました。冒頭の旋律の柔らかくて爽やかな音色が一時期特に好きでした。











かつて『レコード芸術』で毀誉褒貶激しい宇野功芳先生(個人は好きでもないし嫌いでもありません)が29番の冒頭を「天使が舞っているようだ」と評していた文章があったと記憶していますが、言い得て妙だと深く納得した記憶がございます。




1774年4月6日(水曜日)に作曲が完成したそうですが、時にモーツァルト、18歳! で3回目のイタリア楽旅の影響下にあった中、ザルツブルグで創られた交響曲で、確かに明るいカラッとした陽気さと伸びやかさがありますのでそれを感じることは容易であります。


かのアインシュタイン博士も29番は、今までの古典派の装飾的・外面的な交響曲からの「救出」であり、「ヴァイオリンは精神的」であり、管楽器はシンプルで「因習的なものは避けている」。フィナーレは彼の作品の中で「最も豊かで劇的な展開部を持っている」と評して遠くバロック時代のイタリア風シンフォニアから時を経て、イタリアではどなたがこのような作品を作曲しただろうか、と刮目していらしたようです。
(とあるサイトの説明文から個人が少し解釈して書き込みました)。


確かにフィナーレのはち切れんばかりの溢れる音楽は、聞いていて気分が明るく華やかになります。弦楽器のざわついた、浮き浮きしたおしゃべり、快活さは印象に残ります。






第1楽章の端正な大人びた美しい力強い旋律と対称的なものを感じなくはありません。


加えて、29番は、25番(これは個人が1番モーツァルトの交響曲の中では大好きです)・28番とともに、「1773年の3部作」と位置づけし、個人的嗜好から好ましく、とくに29番は最高と評してピアノ協奏曲にしかない詩情があり、美しい歌があると、ジャン・ヴィクトール・オカールというフランスの音楽学者(すみません、全く知らない方です)は評価しています。


3部作の最後たる29番。その第3楽章のメヌエットは、特に格調高さとモーツァルトの若い感性が合わさっているようで、30番台の交響曲の萌芽すら感じさせますので、この交響曲でより作曲家として益々円熟していく様子を示しているのではないでしょうか。

 





頻繁に演奏される、というわけではありませんが、時々演奏会の前半に演奏される29番。特に弦楽器の音が好きな方はこれが大好きだという御仁もいらっしゃるかと思います。 




個人が聞いて印象に残った演奏を紹介します。


カラヤンは晩年、29番の交響曲は39番とともによく取り上げていました。

ベルリン・フィルの弦楽器セクションの美しさ、厚みがあって深い音色を示すかのようでした。



少し重い感じがしますが、カラヤンらしさを感じます。

カラヤンは29番、39番、41番以外の交響曲は演奏会で頻繁に取り上げていないようです。40番は僅か77年に1回だけです。(シベリウスの2番は全く演奏会では取り上げていません。意外です)作品との相性もあったろうと思います。しかし、ディヴェルティメント第15番は殊の外、愛着を持っていたようで頻繁に取り上げていました。


カラヤン特有のハーモニーの美しく分厚いレガートとモーツァルトの交響曲との間になにか考えさせられるものがあるようです。


29番は、アルプス交響曲や悲愴交響曲、ブラームスの1番の前に持ってきていました。



フィルハーモニア管との演奏が幾分か軽やかで個人は好きです。












レヴァインさんのモーツァルトの全集は全て聞いていませんが特に29番の出来栄えは素晴らしいと思いました。25番はすみませんが少し期待外れでした。

明るさ・軽やかさ・華やかさ・美しさ、いずれも備わっています。深みはないかもしれませんが若々しい感性が漲っていると思います。



ザクッリとしたマッケラスさんのモーツァルト。この方も大変センスが良かった指揮者でした。










ベームさんとクレンペラーさんのモーツァルトの交響曲集。ともにタワーレコードさんがSACD化して発売しています。

レヴァインさん、マッケラスさんのキビキビした動き、速さはないもののゆっくりとした深遠な響きがするような、忘れてはならないような演奏だと思います。ベームさん ウィーン・フィルの最高の美をとるか、クレンペラーさん フィルハーモニア管の究極の個性をとるか……。どちらも素晴らしいと思います。
繰り返しますがクレンペラーさんは特に25番が最高の演奏だと思います。



すみません、また長くなりました。