前職を辞めて1年が過ぎました。
金銭的にはまだ苦しさがあるものの少しずつ楽になっており、なにより、蠅のように小うるさい者、獣のように叫ぶもの、犬のよだれのようにねちょねちょいってくる者が全く皆無になったのでとても快適な人生を歩むことが出来ています。
残滓として時折思い返したりはいたしますが、それも少しずつ減ってきていますし、周りの人間に対しても無を貫くことができますので、なんともありがたい環境下にあります。
時折電車内で憤慨するようなこと、例えばぎゅうぎゅうの車内になんの一言もなく無理やり乗ってくる人非人と遭遇しますが、取るに足りないことだと思います。
ぎゅうぎゅう詰めの中に無理矢理乗ってきて失礼します、すみませんの一言もないのは都会的なやり方なのでしょうか。非常識で田舎者の私にはいただけません。
人からやいのやいのいわれない静かな環境で過ごすことはとても個人にとりましては最高です。
話し相手がいない、友だちがいないという嘆きの感情は最早無くなりむしろ、孤独こそ礼賛すべきで世間が捉えているお一人様の悲劇など全く作られた虚像に過ぎないと思います。
無理して人と繋がってなんとなるでしょう。苦しいばかりだと思います。ですから、個人は孤独を率先して貫きます。
集団意識として、孤独は寂しい、悲しいとありますがとんでもないと思います。いざとなった時全く助けてくれないのが世間ですから。
集団、社会、宗教というものに個人は反吐が出ます。
助け合い、絆……上っ面の言葉に過ぎないと断じます。
私には誰もいなくて構いません。強がりではなく、孤独こそ自身らしさを発揮できるからです。
地元いるあの去年までの煩わしさはなんだったのでしょう。1人でいることの今の心地よさをもう少し早くに発見できて江戸在中(生涯江戸在中に心中で決めました。傲慢ですが水戸徳川家のような立場として)をしなかったのか惜しくなりますが今はそれができていますから良しといたします。
辞めて良かった、と改めてブログに書いておきたくなりましたが、積極的には今はなれません。すみません。