今から書いておくことは、あくまでも個人の想像の域であり、脳内がお花畑であることをご理解いただきまして、お読みいただければと存じます。

さて、先般西鋭夫先生のご著書のことを触れましたが個人はさらに発展させて……不謹慎ながら明治天○のすげ替えが本当にあったのかということを深く考えてみました。

かつて、飛鳥昭雄先生のご本だったかと思いますが、明治天○のすげ替えのことを触れてあり、さらに伊藤博文がこともあろうに孝明天皇を暗殺したということまで書かれてありました。

余談ですが伊藤博文は朝鮮で安重根に殺されたのは、孝明天皇を殺したからだ(安重根が自供したそうです)とこれまたとんでもない理由があったそうで……真意の程は定かではありませんが我々が知らないところで歴史が動いていて、興味深く思います。この時に本物の睦仁親王様までも闇に葬ったそうで……。

さらに、お亡くなりになられたはずの孝明天皇はヨーロッパにいらしたそうで、所謂M資金を保持されていたとか……。信じ難いですがいかがでしょうか。

異国嫌い、夷人嫌いであそばした孝明天皇はむしろ幕府を頼りにされていらしたそうで是非とも攘夷を、とお望みのお立場を示されていました。将軍家茂公、一橋刑部卿、松平中将には特に期待して武家に寄り添うような御心でした。

しかし、それが……長州とイギリスは面白くない図式で不都合だったことは知識浅い個人にもわかりますが、刺客として伊藤博文を遣わしたのは岩倉具視あたりではないかときな臭い感じがします。


イギリスと組めば……日本は……拙者たちの意のままになるやもしれぬ……

長州の下賤の者たちは特に目ざとく賢い伊藤博文などは鼻が効いたのかもしれません。


不敬な話で申し訳ないですがすげ替えはあったとみます。彼らの“お飾りとしての御上”が必要で、左様せい、好いたようにせい、その方に一任いたす……と一見明治維新になってから見せかけの議会制を装っていながら、最終的には飼い馴らされた偽物が長州の意に沿った判断を下す……。これが明治維新だったのではないかと思います。

画像は全て拝借しました。



大室寅之祐……以上に箕作奎吾(みつくりけいご)が調べると浮上してきて目を疑いました。初めて知りました。

写真がなにぶん古くて一見して同一人物と断じることはできませんが、似ているということは確かです。

箕作奎吾自身も英国に行っていますから、その影響はあると思いますが、隅田川で溺死しています。が、実は……⁈ という展開でしょうか。

大室寅之祐は、彼も熊毛郡田布施町の出身で、奇兵隊天皇と地元ではいわれたそうで……。

明治天○は2人いたのかもしれません。


失礼ながらお顔つきもお公家様のようなしなやかな柔らかな雰囲気ではなく、矍鑠とした力強い侍のような感じをお写真から受けますがいかがでしょうか。




有栖川威仁(ありすがわたけひと)親王様


衣冠束帯姿の一橋慶喜公

この貴人お二方を見て涼やかなお肌付きや、目元などはお家柄のよさが人相に出ているような感じがしますが、明治天○のお写真はたくましさがらみなぎっていてどうしてもお公家様という感じがしないのは何故でしょうか。



こちらもご参考までに。ご尊父の孝明天皇の肖像画です。

目元が涼しげでお肌は白くてといかにもお公家様風のお顔だと思います。



下級の長州藩士がイギリスの指示で恐れ多くも皇室をも明治維新でぐちゃぐちゃにした⁉︎ のでしょうか。考えれば、つけあがりも甚だしいです。羽柴筑前よりも酷いと思いますが上記で書いたことは脳内の妄想です。


明治維新に至るまでの幕末のあの騒動はなんだったのだろうか。武士が一命を賭して、国を真剣に考えるさまはなんだったのか。

見せかけの自由主義を満喫して、個人主義で毎日をそれなりに暮らしている日本人の在り方と巧妙にカモフラージュしていて未だに長州人の既得権益が続く体制……。

表立って内乱があるような騒動はないにしましても、このままでよいのだろうか……と考えさせられます。