司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』関連の内容ですが御一新後、西南戦争後落ち着いた政府高官例えば後藤象二郎、山縣有朋、板垣退助や財を成した岩崎弥太郎や安田善次郎を見ていると、……すみません結局は我欲でしかなかった、と正直感じてなりません。
後藤象二郎、岩崎弥太郎は西郷隆盛、まして同郷の武市半平太、坂本竜馬の比ではないと思います。岩崎弥太郎など坂本竜馬の仕上げたものを盗んで後藤象二郎が裏で情報を流して巨万の富を得たと指摘されてもいますし、西郷従道元帥が三○は国賊たり(私は今もそう思います。長崎はそれでもってご機嫌伺いをしていますが、土佐藩の上士下士を思わせるようで嫌いです。そこに勤めている人が人間という認識が長崎にあったそうです。ナンセンスです。)といったそうですが、同意します。お世話になっておきならがすみません。奴隷のようにこき使われたから。
岩崎弥太郎も同様に坂本竜馬の国を憂うから思う事業ではなく我が身かわいさだけの在り方。
坂本竜馬、武市半平太、高杉晋作(彼は早くに亡くなりましたが)、西郷隆盛のような崇高な士というのは結局のところ御一新後不要で西洋のイヌに成り果てた奴ら、江戸時代では身分が低くかった人間がうまい汁をすう完全なシステムを作っただけの御一新だったのではないか、と思います。
なぜ、侍がいなくなったのか。西洋のイヌになった人間が関白や将軍のような権限を得てヨーロッパの死の商人のバックアップを得て侍が不要になったから? でしょうか。以前申し上げたように安倍晋三さんよろしく今になお続く長州系が日本を支配している図式が見えてきます。
『竜馬がゆく』を読んで1人憤慨しています。まるで佐幕派で開国をやむなく見守るような……。1人1862年頃の意識に戻ってその後西洋のイヌになった奴らを……。