東京にまた登って参りました。

乗り換えもたくさんしてお荷物も少し重く自分の新居も少し迷いヘトヘトになりながら到着しました。

お買い物をしたかったのですが辞めました。

ご飯は、今日から本格的に不食、断食の一歩手前の生活を心がけてます。

実家にいますと、両親がいますので食べ物は自然冷蔵庫にありますから触手が伸びて良い環境にあるようで実はありません。この7月誘惑に負けてお腹周りがきつくまた動作も鈍く夏の時節と相まってダメな人間になったと反省しています。

しかし、今日からは約1人ですから冷蔵庫に食べ物を補充してくれる人もなく環境としては良いと思います。


お釈迦様の表情にありますように食べないことはある意味エクスタシーというか恍惚とした境地に至るのかもしれませんね。穏やかになる、直感が鋭くなる、見た目も若くなり肌の色艶がよくなるなど効能がたくさんあります。

今夜はお水だけにします。身体は自分のもので当たり前、今さらの認識でしょうがどうも、太り出してきつく地球からの借り物で自分とは違う意識を備えた物質ではないかと今旅の疲れから変なことを書いております。

皆さんのお身体も崇高な意識を備えた地球からお借りした大切な身体です。

病気をする→病院に行く→診てもらいお薬を処方され、次回の再診日を決めてもらう→お薬をいただく

これは……すみません、読み流してください。この身体からのメッセージは単に痛いなあ、変だなあと感じているのは、身体がなんらかの意思を持っていてメッセージをくださっているからではないでしょうか。よく分かりませんが。そして、自らが本来治す力、治癒力を体内に備えているはずです。

自分が思い身体を動かす動作と、身体の無言の意思と今個人は隔たりがあって少しずつ歩み寄る必要を感じています。

働かなかった上に、ご飯を食べさせてもらっていたので単に少し太ってきつい、という虚しさがあるだけでしょう。

大げさに書きました。

身体を楽にすればきっとこの東京砂漠(砂漠とは何事でしょう。なにもかも行き届いた町ではないでしょうか)を参ることができると確信します。

身体は資本です。不食はともすれば偏見に遭うでしょうが身体は欲しています。ですから今日から改めて不食をできるだけ行います。

実家の生ぬるさもなく、自身と深く付き合うことができる環境を頂戴できたので瞑想、読書などを友にします。テレビはありますが要りません。