さようなら、さようなら、さようなら、さようなら。
お世話になった生まれた町。感謝こそすれどこか合わないような、自分の本当の居場所ではないような実家と地元から辞去します。
自然があって湧き水があって嫌いではありませんが、合いませんでした。
人付き合いを全くしない、関わらない、歳が近い人や同学年の人との関係は絶った。釣りはしない、お魚は臭いがするので食べない、海には近づかない、泳がない、両親ともどこか合わないような気がして互いに離れる必要性を感じる……
箇条書きにしましたが、こちらに長くいなくてはいけない要素が見つからず、離れた方が個人としては生産的、建設的な感じがします。
前々から出たい、出たいと思っておりましたから漸く願いが叶いました。別に地元でも構いはしませんが、毎日毎日平坦すぎるスケジュールのなかで生きて行くだけが続くのは味気ないように思い、出ることにいたしました。
これ以上長く居ても虚しさや嫌悪感が潜在意識に溜まる一方ですから心身ともに悪いので辞去いたします。
長く自分を苦しめて、陸の上での島流し的な生活を色々気にして自らに科してきて……無駄に時間を貪り続けてきたことが、書くのは恥ずかしいですが自らを相憫んでいます。
仕事も無駄にガツガツして社畜になって頑張りましたが全く芽が出ませんでした。ただ上役の道具でしかなく個人の心情は察してもらえず、自身もひたすら耐え抜きましたが、限界がきました。
なぜ、懸命に務める人間を見て評価しないのでしょうか。長崎は所得が低い地方の1つで、悪い意味で保守的なしがらみがあり、密かに感じる二極化が常に横たわっていて、何にもない私は気張っても一緒で一生社畜でしかない存在なのかもしれません。
既存の決まり事に固執する、田舎の事なかれの気概に……。
地元に長くいましたが子どもの頃から理不尽な扱いやいじめを受けたりしました。社会人になると上役の人からもずいぶんと……。
本当に僅かな人しか、お付き合いができず……地元にいる、長崎にいる意味を長年見いだすことができませんでした。すみません。
子どもの頃からなんとなく感じていた違和感とさらに申し上げれば嫌悪感は……わがままでしょうが、早くから出て行け、出て行けと潜在意識が訴えていたのでしょうか。
今日で長崎は卒業します。さようなら。ですが、まだ雑貨用品、自動車を置いたままにしていますからそれを早く東京に迎え入れたいと思います。
猫の餌や参拝者が少ない神社の御玉串料など気にはなりますが、気持ちの上ではまだ御用をさせて貰おうと思っています。