先だって、ヤフーオークションにて西脇呉石先生の以前から欲しかったご本が入手できましたのでこちらで幾分か披露させていただきたいと思います。
三重県四日市市にいた時分に手習いしていた先生がお持ちで、初めて拝見した折その端正な美しい書に惚れコピーをとらせていただいたことを思い出します。
行書、草書は西脇呉石先生の白眉です。王羲之、小野道風の「屏風土代」がしっかりと基礎にあり、線の美しさが際立っています。
そのコピーをどうやら母が捨てたらしく、ヤフーオークションでないか ないかと躍起になって久しくしていた時分に出品されていました。
楷書体は顔法を踏襲しているような形跡があります。柔らかい線で伸びやかです。
明治期に書を嗜んでいた方々は楷書は顔真卿の筆法、顔法を基礎にした書体が主流だった? のではないかと思われます。
当時の国定教科書の手本の製作に携わった長三洲先生のいわゆる「ノメクタ本」(1番初歩でカタカナでノメクタとあるためにそのように呼ばれています)が顔法を取り入れてあったからです。
しかし、子どもさんらに顔法とは……難しいです。昭和8年の鈴木翠軒先生のお手本までは顔真卿風の手本が主流にありました。
昭和16年の井上桂園先生のお手本が、今までの流れをおつくりになって欧陽詢や虞世南の書体と筆法が主流になりました。
江戸時代末期近くにお生まれになった書の先生方は和様の嗜みが自然にあったことがわかります。
西脇呉石先生は和様の最後の後継者になるのかもしれません。
真面目なお人柄でいらっしゃったのではと偲ばれます
。
西脇呉石先生は、詩文の素養もお持ちで自作の漢詩を書かれた作品もあり、文人と呼ぶにふさわしい方でした。
詩、書、画。と余分に篆刻とあれば最強ですね。明清の時代は特にその色合いが強く、文人という一種の教養人、知識人、インテリにあたる書人が多分にいたことを思い出されます。
書を嗜む人は詩、書、画と素養がなくてはならないなどと昔はいわれたそうです。
当方が読者登録させてもらっている方々の中にその三体を持たれた方がいらっしゃるので素晴らしいと思います。