徳川将軍家の中で失礼ながら人気のない公方様(くぼうさま)はどなたか、となりますと、7代家継公、6代家宣公、あるいは12代家慶公、9代家重公あたりでしょうか。
凡庸との評価される将軍家にはその分まわりの幕閣に優れた人材がいたりしますし、優秀な将軍家なのに在任期間が短くて今日まで認識されていないという惜しい方がいます。
その在任期間が短くて評価されていない地味なイメージの徳川家宣公は損をされている方でしょう。徳川家茂公もそうです。在任期間が短いので治世を云々するには難しいかもしれませんが、ご両所様はお人柄が特に秀でた公方様だったようにご本を読んで感じました。
家宣公の治世は江戸期でも安定していた時期でしたし、新井白石や眞鍋越前などの極めて優れたブレーン(お二人とも真面目だったそうです)がいましたし、大河ドラマでは扱ってもよさそうですが面白みがないから採用されないのでしょうか。
家宣公はまた大変な勤勉家で新井白石から歴史などを学んでいたそうです。先代の綱吉公よりも自然家宣公が先に将軍家でありせばと。水戸中納言光圀公も綱吉公後は是非家宣公をと思われていたそうです。
お人柄で話せば1番に家茂公が浮かびます。将軍になられた後は己を律して勉強されたそうですし、維新後に旧幕臣らがお人柄を慕って回顧録まで作られたくらいだったそうです。勝安房守も慕っていたそうで涙ながらに述懐していたそうです。
家茂公は虫歯でお亡くなりになった、と思いますが甘いものが大好物で……。惜しいですね。この面も律してくだされれば……。一橋慶喜公と違い裏表がないはっきりされた方のようでしたから時代がそれからどう動くか、考えただけでも惜しいです。
松平健さん演じる徳川吉宗のような、なにもかもご立派な将軍家だったらまだ我々は丁髷だったかもしれないと冗談に思う時があります。しかし、武士が統治していた時代が意外と幸せだった⁈ のかもしれません。
時代劇で描かれる貧しい百姓が毎年搾取され年貢に困る……ということではなく、飢饉などでは難儀したでしょうが識字率は高く維新後に日本に来た外国人が町人がご本を読む姿をみて驚き「パラダイスだ」といったそうです。