ベートーヴェンの交響曲はやや食傷気味で今は沢山聞きません。永遠の9曲ですから始終愛好家の人々は意識していると思いますし、ことあることに聞いているのではないか、と思われます。

私もその交響曲は全部好き過ぎてやみませんがこと力強さやベートーヴェン自身のお気に入りであり、ベートーヴェンの理想が敷き詰めらているであろう交響曲は第3番《英雄》は彼らしい交響曲、作品になるのではないかと勝手に思いました。

規模も大きいですし、ナポレオン1世(この方の陰茎は3センチだった⁉︎ そうです。オカルトの話で最近彼の遺体からチップが発見されたとか……。)に世の救世主のような眼差しで見てこの交響曲を献呈しようとしていましたから。理想主義的な要素もあったであろうベートーヴェンも俄然張り切って作曲したでしょう。推敲を重ねて。新しい試みも盛り込んで。古典派の沸騰点に達した曲として。

この時期にはゲーテにも逢っていますが互いに気が合わず、わからず仕舞いで関係が終わってしまったということです……。ゲーテから見ればややいかつく狂人じみた感じがした。ベートーヴェンから見ればお高くとまって上から目線でいやらしさを感じた、といったところですか(題名のない音楽会でこの出逢いを浪曲でするという斬新な試みをしていました‼︎ やや理想的に描かれた浪曲だったようです。ゲー公、ベン公と呼び合う仲に……と浪曲師が唸っていたのをうっすらと憶えています。面白かったです)。

ですからベートーヴェンらしさを深く私は感じてこの交響曲はよく聞きます。冒頭の2発から英雄の主題が堪らないのです。今は左腕がダメですから指揮はできませんが。楽譜も読めないのでダメです。

この時は耳は完全に聞き取る能力が完全に失われていますが、死を決意して一転、作品を次から次に生み出しています。どれだけ身体に音楽が沁み込んでいたのでしょうか。

英雄交響曲を聞くにつれ、勇気やら理想やらをいただくようで、好きな1曲です。こと貼り付けたカラヤンの演奏は素晴らしい演奏です。

他にも4番のロマン派の香り、この爽やかさはシューベルト、メンデルスゾーン、ショパン、シューマンあたりに引き継がれていくように感じて、6番は弦楽器の美しさに開眼させられ優しい穏やかさで満たされますし、各々魅力があります。

1番、2番もややもすると無視(とは言いすぎでしょうが)、敬遠される傾向に少しあるようですが私はよく聞く方です。

全曲次から次に演奏家を変えて聞くことは減りましたが支柱としてあるベートーヴェンの交響曲。まだまだ沢山聞くべき要素はあります。