アセンションする、最後の審判が迫り来る、地上天国 千年王国が……。様々ブログでも書かれてあります。私が1つ思いますのは、いつもの自身の内側の話なのです。内側の思いようが目に映る世界の反映です。現実に物質的に天の岩戸を開けて実際天照大神様がお出ましにはならないと思いますから、やはり自分の中の心の岩戸を開けなさい、ということではないかと。最近、暇に任せてつとに思われるのです。

1人1人生きている世界が違いますが最終的には世の中が日月神示にあるようにグレンとひっくり返るようなこともでてくるのでしょうが、それに至るまでの今からの意識として心の岩戸を開ける、開眼する、解脱する……言葉で申しますと仰々しい感じですが、心の声に従って無理をしないで、できるだけ好きな事をして生きて行く、内側を満たす、外側が気にならないことがアセンションだったり、天国だったりするのではないかしら、と思うのです。

中には岡田茂吉師系統の宗教では、最後の審判が迫っていて、後に地上天国が来ますよ、浄霊=手かざしで世の大峠を越しましょう、と躍起になっています。否定はしません。しかし、その宗教の中の醜い選民思想、選ばれた魂として世の中を救うと気張っている信者さんがいらっしゃいますが、それは外から外からしているように感じて、私は納得できません。中から外に向かって天国が創造できるのではないか、と気付いたのです。私は多分間違っているでしょう。暇すぎて狂ってしまったのだわ、かわいそうに、と笑ってください。

それだけ1人1人の心は世の中を創造する力があるはずなのです。それに見えている景色は皆さん違うと思います。内で天国は拵えるものですし、アセンションも内で迎えるものではないでしょうか。岡田茂吉師が仰った昭和100年(あと8年後ですか)に地上天国ができるでしょう、とそのお言葉もある程度の外形的な要素ではないか。その年に理想的な世界が拡がっているに越したことはありません。しかし、個人の心はどうか。先ず内側におわします神様を感じること、認めて幸せな人たちが多くなっている、ということがなくては……。

個人の開眼が何よりだと私は思います。天変地異が激しくなった。世の建て替えが始まっている、沢山毎日人々が亡くなる、神様の事を信じる人が一気に増えてお詫びしたり反省したりお縋りしたりする人も増える……。しかし、時間切れで多くの人は裁かれて……。そのような地獄的な展開は望みません。皆さん、神様のお許しがあるから存在していますし、その境遇で生活できていますから審判など考えられないのです。

全ては人間の内側で思考するものが原因です。思考から必ず神様からの良いメッセージ、インスピレーション、閃きはいただけると思います。それに従って動けば大丈夫だと思うのです。しかし、他を尊重しながら、穏やかに、でしょうが。少し前に書いておきたかったことでした。漸く書けました。忘備録程度に。