鳥取市の西端を流れる青谷川と日置川の河口には、かつて潟湖〈せきこ〉が広がっていました。弥生時代前期(約2400年前)から古墳時代前期(約1700年前)にかけて、この潟湖のほとりに暮らす青谷上寺地遺跡の人々は農業や漁業を営むかたわら、日本海で結ばれた北陸や九州、さらには朝鮮半島との交易にも携わっていたようです。この遺跡の存在が明らかとなったのは、山陰自動車道建設に伴う発掘調査がはじまった平成10(1988)年のこと。大量に見つかった出土品には土器や石器をはじめ木製品や金属製品、骨角製品、さらには人骨なども含まれていて、その多様さと保存の良さから「地下の弥生博物館」などとと評されました。これらは発掘調査事務所の一室に展示されていましたが、令和6(2024)年に展示施設が完成し一般公開が行われているとのことで、昨秋見学に訪れました。

 青谷かみじち史跡公園に立つ展示施設はガイダンス棟と重要文化財棟(有料)に分かれています。まずガイダンス棟に入ると、弥生人の少女と弥生犬がお出迎え。展示室の中央には日本海を行き交った構造船の復元品が。その周りには当時の暮らしぶりを描いたイラストとともに、農具の石包丁や田下駄〈たげた〉、漁具の銛〈もり〉や釣針、工具の鉄斧、祭祀具の琴や卜骨〈ぼくこつ〉などが展示されています。また、弥生人の頭骨と復顔模型のほか、傷痕や病痕のある人骨も並んでいました。重要文化財棟の展示室は二階にあります。装身具の櫛や玉、容器の壺や桶〈おけ〉、農具の鋤〈すき〉、漁具の釣針やアワビおこし、変わったところでは武器の柄〈つか〉や履物の沓〈くつ〉など、令和元年(2019)に重要文化財に指定された出土品の一部を展示しています。また、訪れた際には、「花弁高杯」という日本海沿岸で見られる木製のうつわの企画展も開催していました。展示施設を見終わって感じたのは、イラストや解説パネルを多用するあまり出土品が目立たなくなっているガイダンス棟と、出土品の解説はキャプションのみでパネル等を用いない重要文化財棟とのギャップです。それぞれ展示のねらいや利用者の違いがあってのことでしょうが、相互に関連づけて遺跡の価値を伝える工夫が望まれます。

 展示施設の外に出ると2棟の復元建物が目に入りました。切妻屋根の高床建物で、妻側に設けられた入口には両開きの扉構えが復元されています。壁板が縄で固定されているのは米子市妻木晩田〈むきばんだ〉遺跡の復元建物にならっているようです。史跡の整備は現在も進行中で、今後どのような公園となるのか楽しみです。

 最後に、重要文化財棟の一階で見かけた出土人骨のパネル解説について触れておきます。それによると、出土した人骨の多くは白骨の状態で埋まったようですが、脳が残る頭骨のように生首?の状態のものもあったようです。矢を射られ刃物を刺されて殺された100人もの人々。その遺体は葬られることなく放置され、白骨となった後に水路へ棄てられたと言うのです。今から約1800年前、一体どのような理由でこうした惨劇が繰り広げられたのでしょうか。


青谷上寺地遺跡の展示施設

 

弥生人の少女と弥生犬

 

構造船の復元模型

 

漁労の展示

 

サメを描いた弥生土器

 

木製の椅子

 

木製の台付有蓋壺

 

木製の「花弁高杯」

 

卜骨と琴

 

人骨の解説パネル

 

 

復元された高床建物