岡山県南東部にある赤磐市〈あかいわし〉の土井遺跡は、古墳時代の埴輪窯〈はにわがま〉が見つかったことで知られていますが(「置き去りにされた盾持ち人」をご覧ください」)、弥生時代の住まいもまた発掘されています。埴輪窯と同じ西向きの斜面に営まれた弥生時代の住まい(段状遺構)は、斜面を削って細長い床をつくり屋根をかけていたようです。床の周りには排水の溝を掘り込んでいるのですが、南辺の溝にまたがるように平たい石が置かれていたのです。これは住まいに出入りするための施設と考えられ、この住まいは斜面の上側からでも下側からでもなく横側から出入りしていたことが明らかとなりました。斜面の住まいは横方向に床を広げたり、移動したりしている場合が多いのですが、これは入口や通路を同じくしていたためと思われます。

 ところで、勝央町〈しょうおうちょう〉黒土の丘の頂きにある大型住居(「緑なす住まい」、「イネワラの利用」をご覧ください)は、ゆるやかな尾根筋の道(幹道)で平地と結ばれていたようです。丘の斜面に営まれたたくさんの住まいは、この道から分かれた通路(枝道)でそれぞれ繋がっていたものと考えられます。土井遺跡で見つかった住まいも、南側にある谷筋の道で他の住まいと結ばれていたのではないでしょうか。

 このように、住まいの入口というささやかな発見ではありましたが、集落を復元する重要な手掛かりを得ることができました。

 

斜面の住まい(岡山県教育委員会2004「山ノ奥遺跡ほか」から)