放送禁止歌の定義については前編に詳しく書いていますので、そちらをご参照ください。                            なお、今回はの選曲には、フォークの他にロックや歌謡曲も含まれています。

 

 

 

加川良「教訓 I」                          

長い間、加川良のオリジナル曲とばかり思っていましたが、歌詞は上野瞭が1967年に出版した『ちょっとかわった人生論』所収の「教訓ソノ一」を改作したものなのだそうです。「教訓Ⅱ」がないのは、そういう訳だったのですね。                                

歌詞には、軍国主義や好戦的なマッチョイズム、靖国思想などへの強烈なアンチテーゼが込められています。

 

杏「教訓 I」

昨年の4月2日、星野源が国民に外出の自粛を呼びかける「うちで踊ろう」をインスタグラムで公開しました。曲自体は毒にも薬にもならない平凡な曲でしたが、第1回緊急事態宣言発令中の4月12日に安部首相がこの曲とのコラボ映像をSNSに投稿。

新型コロナ感染の恐怖に怯えながら自粛生活を強いられる国民の不安を尻目に、自宅でのんびり過ごす安部首相の優雅な暮らしぶりが国民からの猛反発を呼び、あっという間にネットは大炎上。
                                                                その炎上がまだ冷めやらぬ4月20日、女優の杏が自宅で歌いながら子どもとくつろぐ動画をユーチューブに公開。歌っているのが何と加川良の「教訓 I」だったのにはびっくり仰天。

1986年生まれの杏がこの曲を知っている事自体驚きですが、公開のタイミングから見ても、この選曲が何らかのメッセージを含んだものであった可能性は高いと思われます。

このカバーは政治に迎合したように見える星野源とそれを人気取りに利用しようとした安部首相に対する皮肉や風刺と受け取られ、再生数は瞬く間に100万回超え。有名女優なのに現役総理に忖度しない姿勢が勇気や気骨があると大絶賛され、現在の再生総数は481万回に達しています。

 

高田渡「自衛隊に入ろう」                     

Wikには、勘違いした防衛庁が自衛隊のPRソングに使わせて欲しいとオファーして来た事やこの歌を真に受けて本当に入隊した者がいたことから、ライブで高田はこの曲を封印した という笑えないエピソードが掲載されています。

高田渡は反戦歌のつもりだったのかもしれませんが、加川良の「教訓 I」に比べると、解釈の仕方によっては自衛隊の応援歌ともとれる弱さを内包していることは客観的事実です。

 

赤い鳥「竹田の子守唄」                       

被差別部落に伝わる民謡を基にした曲という、ただそれだけの理由で放送禁止になりました。

 

黒沢年雄「時には娼婦のように」                   

所謂「セクシー歌謡」に認定。
最初、黒沢年雄はこの歌を歌うのを嫌がったとなかにし礼が言っていますが、蓋を開けてみれば80万枚の大ヒット。

 

なかにし礼「時には娼婦のように」

なかにし礼本人が歌うこちらの盤も15万枚のスマッシュ・ヒットを記録。 遊び人で14歳も年の違う兄が作った7億円もの借金を肩代わりしたため困窮していたなかにし礼が、半ばやけっぱちになって出したのがこの曲。

予想外の大ヒットのおかげで借金を全部返済することができたと小説「兄弟」に書いています。ヒットの余勢をかって、なかにし礼主演で映画化(何と日活ロマンポルノ) 。脚本も本人が書いていますが、あまり面白くはなかったです。

なお、兄との関係を描いた 小説「兄弟」は1993年に「兄弟 〜兄さん、お願いだから死んでくれ〜」という題でドラマ化されていますが、こちらは秀作でした。
 

 

美輪明宏「ヨイトマケの唄」                    

「土方」や「ヨイトマケ 」という歌詞が問題視されました。      丸山明宏(当時)は元祖シスターボーイで、シャンソン「メケメケ」をカバーして売り出しました。映画や演劇への主演も多く、三島由紀夫原作の『黒蜥蜴』はその代表作。

 

ちあきなおみ「四つのお願い」

1980年代に放送禁止歌に指定されています。「四つ」という言葉自体が放送禁止用語になっており、江戸時代の身分制度に関連して被差別部落を連想させるからなのだそうです。おまけにB面の曲名が「恋のめくら」で、AB両面とも放送禁止をくらった珍しい事例です。

デビュー曲の「雨に濡れた慕情」はブルージーな名曲だったものの小ヒットにとどまり、4枚目のこの曲が大ヒットしてメジャー歌手の仲間入りをしました。まさか10数年後にこの曲が放送禁止になるとは、本人は夢にも思わなかったでしょうね。

 

ちょっと脱線して、

ちあきなおみ「雨に濡れた慕情」

                                                                                                                           最後に反原発ソングを3曲。

RCサクセション「サマータイム・ブルース」

忌野清志郎「LOVE ME TENDER」(放射能はいらねぇ!)

プレスリーとエディ・コクランのカバー。               1988年発売予定のRCサクセション「COVERS」の収録曲でしたが、この2曲の歌詞が反核・反原発だったため、政府と電力会社に忖度した東芝はアルバム自体を発売中止にしてしまいました。アルバム発売予定の2年前には、チェルノブイリ原発事故が起きていたにもかかわらずです。

残念なことに忌野清志郎は、福島原発事故の前年に死去。清志郎がもし生きていたら、何と言ったでしょうか。
アルバム「COVERS」の10年後「君が代」をパンクロック風にアレンジした曲も発売中止になっています。

 

河島英五「続てんびんばかり」

こちらは、反原発・反核の歌詞が入ったライブバージョン。ただし、厳密な意味では放送禁止になっていないはずです。

 

最初のバージョンは、こちらです。

河島英五「てんびんばかり」

淡々としたフォークソングかと思って聴いていましたが、ラストの尋常ならざる大盛り上がりの絶叫には正直びっくりしました。

 

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