表題からして「超A級歌手の橋幸夫をよりによってB級GSなどと一緒くたにするとは何ごとか!」と橋幸夫ファンからは大目玉を頂戴しそうですね。逆にコアなにGSファンからも「橋幸夫をGSに入れるなんて聞いたことないぞ。」と呆れられる事でしょう。

 

確かに1960年代の男性歌謡曲歌手の中では橋幸夫は一頭地を抜く存在で、レコードや映画でビッグヒットを飛ばし続けた超大物でした。それだけではなく、股旅・時代劇歌謡から入って大ヒットを連発するもそこだけに安住せず、「江梨子」から現代ものにも手を広げてこれまた空前の大ヒット。

 

そこから暫くの間は股旅・時代劇と現代ものを並行してリリースする時代が続きますが、1963年に新しいジャンルの青春歌謡「いつでも夢を」で吉永小百合と共にレコード大賞を受賞。

デビューから3年足らずで人気絶頂の大スターにまで上り詰めた橋幸夫でしたが、それだけに満足せず今までになかった新しい歌謡曲のジャンルの開拓を目指して挑戦したのが、洋楽のリズムを取り入れて生み出された日本独自の「リズム歌謡」でした。すべてオリジナル曲だったところがカバーポップスとの違いです。

 

こうして新しいものを常に追い求めて自分の音楽を変えていく開拓者魂をもった橋幸夫の試みはもっと評価されてしかるべきだと思うのです。そのような音楽の革新者としての姿勢は、70年代にビジュアル面も含めてポップスの様々な可能性に挑戦し続けた沢田研二や贔屓の引き倒しになる事を恐れずに言えば、更なる高みを目指して最後まで変貌し続けたビートルズとも共通するものだったと言えるでしょう。

 

さて、今回取り上げる橋幸夫の「リズム歌謡」は、冒頭に書いたように厳密に定義するまでもなく通常はGSの範疇には入らない音楽ジャンル。ブルーコメッツと共に最も古いGSバンドであるスパイダースが「フリフリ」でレコードデビューするのが1965年。対して、橋幸夫のリズム歌謡第1作「恋をするなら」の発売は1964年ですから、レコードの売り上げや人気、圧倒的な知名度などから言っても前回取り上げたエミー・ジャクソンと同じく橋幸夫はGSに影響を与えた側です。

 

その後のGSブームの中でも並行するような形で、橋幸夫は同じ洋楽志向のヒット曲を連発した訳ですから、両者はルーツは違えど双生児のようなものだったとも言えるかと。相互に影響を与え合っていた節もあり、人脈的にもGSとは全く関係がないという訳でもないので、「番外のGS周辺曲」ということでご容赦願えれば幸いです。

 

歌謡曲の中で特にリズムを強調したアップテンポの曲をリズム歌謡と呼んでいますが、リズム歌謡という用語自体は橋幸夫の「恋をするなら」から始まる一連の類似曲を総称する言葉として生まれたものです。

 

それらは直接的にアストロノウツなどのサーフィンエレキやホットロッド、ベンチャーズのテケテケ、そしてビートルズなどの洋楽から強い影響を受けており、バックにエレキギターなどの電気楽器が使用され、ドラムスによるビートが強調されていたことから、別名「エレキ歌謡」とも呼ばれていました。

 

まずはそのような狭義のリズム歌謡の元祖とも言うべき橋幸夫の曲から入りますが、次回以降はブギウギやドドンパ、マンボなど電気楽器がまだあまり使われていなかた時代の広い意味での「リズム歌謡」にも選曲の幅を広げて行ければと思っています。ただ、そこまで手を広げるとGSとは遠くなるので、別のシリーズになるかもしれません。

 

最初に導入として、橋幸夫のリズム歌謡誕生のきっかけになったアストロノウツのサーフィンエレキを2曲聴いてみましょう。

 

アストロノウツ「太陽の彼方に」(1965)

日本のみでシングルカットされて大ヒット。ヒットにあやかって、日本語の歌詞をつけたカバー曲がいくつもつくられました。この曲の大ヒットによってアストロノウツの日本での人気が高まり、1964年から65年頃はベンチャーズと並ぶほどの人気がありました。

 

アストロノウツ「サーフパーティ」(1964)

こちらも日本でヒットしており、日本のエレキバンドの定番曲のひとつになっています。

 

橋幸夫「若いやつ」(1962)

厳密にいえば橋幸夫のリズム歌謡シリーズの範疇には入らないのですが、この数年後に、舟木一夫と西郷輝彦、三田明などが加わって全盛期を迎える所謂「青春歌謡」の第1作であり、当時としてはアップテンポのリズムを打ち出した名曲として入れました。                    同名TVドラマ及び映画の主題歌で、この映画から倍賞千恵子とコンビを組んでいます。

 

橋幸夫「恋をするなら」(1964)

佐伯孝夫と吉田正の作詞作曲コンビによるリズム歌謡第1弾。                  今聴くとかなりのんびりしたテンポに聞こえますが、当時としてはこれでもアップテンポの部類に入り、歌詞、リズム共に非常に斬新で、エレキの逆テケテケ?を取り入れるなど革新的な曲作りに挑戦しています。メロディのよさも手伝って、リズム歌謡としては最大のヒットを記録。

 

アストロノウツ「恋をするなら」(1965)

1965年に来日公演を行った折に録音され、「チェッ・チェッ・チェッ」とのカップリングでシングル発売されました。主旋律のアレンジがが「チェッ・チェッ・チェッ」とよく似ていて間違えそうになりますね。

 

橋幸夫「ゼッケンNO.1スタートだ 」(1964)

サーフィンの次はホットロッドとは、攻めてますねえ。発売が「恋をするなら」の1か月半後だったため、まだ大ヒット中の前作の陰に少し隠れてしまった感がありますが、こちらもなかなか野心的な名曲です。

 

参考までにホットロッドの代表曲を1曲。

ロニー&ザ・デイトナス「G.T.O.でぶっとばせ」(1964年)

 

 

 

 

橋幸夫「チェッ・チェッ・チェッ ~涙にさよならを~」(1964)

 

 

 

サーフィン、ホットロッドと続いたシリーズ3作目は橋幸夫が最もロックに近づいた「ロック歌謡」。マイナー調の哀愁を帯びたメロディとイントロからエレキギターを全面に押し出したバック演奏とがうまくかみ合い、見事な相乗効果を生み出しています。

                       

大ヒットを受けて1965年に倍賞千恵子との共演で映画化されています。松竹映画ですが歌謡映画には珍しく麻薬組織との抗争が題材で、東映のようなアクション映画になっていました。松竹としては苦手な分野で、出来はあまりよくありません。

 

アストロノウツ「CHE CHE CHE(チェッ チェッ チェッ)」(1965)

原曲がロック寄りなので、「恋をするなら」と比べると歌謡曲っぽさがほとんど感じられません。ビートの効いたストレートなエレキロックとして聴くことが出来ます。原曲を知らなければ、サーフィンエレキとしても通用すると思います。

 

橋幸夫「恋のインターチェンジ」(1965)

オートレースを題材にしたホットロッドの次はハイウェイが舞台。                 本作は佐伯・吉田コンビの作品ではないので、快調に飛ばしてきた前の3作とはだいぶ曲調が異なり、やや失速感があるのは否めません。リズム歌謡としてはかなり地味な曲なので、あまりヒットしませんでした。

 

橋幸夫「あの娘と僕~スイム・スイム・スイム」(1965)

佐伯と吉田コンビのリズム歌謡第4作は、当時ビクターが力を入れていたスイムリズムを取り入れた意欲作。歌って踊れる明るくて楽しい派手な曲調が受けて大ヒット。                                一か月後には早くも映画版が公開。前作まで倍賞千恵子との共演が続きましたが、本作では香山美子がヒロインを演じています。こちらは可もなく不可もないごく平凡な明朗青春映画でした。

 

橋幸夫「僕らはみんな恋人さ」(1965)

作詞岩谷時子、作曲いずみたくの曲を橋が歌うという異色の組み合わせ。 佐伯・吉田コンビの路線をうまく引き継ぎ、快調なリズムで違和感なく聴くことが出来ます。

 

橋 幸夫「ネエ,君,君 」(1966年)

 

 

ヒットした「雨の中の二人」のB面。しっとりとした曲調のA面とは対照的なリズム歌謡で、A面にしてもおかしくない軽快な乗りの曲。

 

橋幸夫「恋のアウトボート」

「汐風の中の二人」のB面。こちらもスローバラード調のA面とは真逆のアップテンポでエレキギターが賑やかなリズム歌謡。

 

橋幸夫「恋と涙の太陽 」(1966)

 

 

 

佐伯・吉田コンビに戻った7作目はアメリアッチ。アメリアッチはアメリカからやって来たリズムで、代表曲と言うとハープ・アルパートの「蜜の味」あたりでしょうか。ビートルズの来日に伴う洋楽ブームも手伝って100万枚を売り上げる大ヒット曲になっています。

 

ハーブ・アルパート&ティファナ・ブラス「マルタ島の砂」

 

 

大ヒット曲「蜜の味」に続き、日本でもヒットしました。

 

ベンチャーズ「蜜の味~恋と涙の太陽~蜜の味」

正式にリリースされた曲ではなく、編集ものです。

 

橋幸夫の弟分で吉田正の門下生三田明も「恋と涙の太陽」そっくり?のリズム歌謡を歌っています。

 

三田明「恋のアメリアッチ」(1966)

映像は、三田明が早瀬久美と共演した映画『恋する年ごろ』の歌唱シーン。

 

橋幸夫「太陽だって泣いている」(1966)

「恋と涙の太陽」のB面ですが、楽曲としてのレベルが非常に高くA面として出してもおかしくない名曲。B面なのに間奏で語りが入っているのも珍しいと思っていたら、評判がいいのでA面として出し直したようですね。
映像はこれまたレコード発売後に速攻で制作し、一か月後には公開された同名映画。共演は橋幸夫の青春映画の常連、倍賞千恵子と香山美子。

 

橋幸夫「恋のメキシカン・ロック」(1967)

佐伯・吉田コンビによる橋幸夫リズム歌謡シリーズの掉尾を飾る大ヒット曲。ただし、曲名に「ロック」がついてはいるものの、ロックからは程遠い曲調ですが。                 この曲が佐伯・吉田コンビのリズム歌謡最終作になったのは、GS全盛時代の中でこれ以上リズム歌謡を作る意味がなくなったということのようです。売れていたにも関わらず、なかなか潔い決断ですね。

 

橋幸夫「若者の子守唄」(1967)

作曲サトウハチロー、作曲鈴木邦彦。                                 バックバンドは、津々美 洋とオールスターズワゴン。オールスターズワゴンはロカビリーブームの時代に結成され、平尾昌晃などのバックを担当した年季の入ったエレキバンド。この曲の頃は1963年から65年までブルーコメッツに在籍していたベースの江藤勲、B級GSブルー・エースやアウト・キャストに在籍していたオルガンの穂口雄右などGS関係者がメンバーでした。

 

橋幸夫「想い出のカテリーナ」(1967)

作詞作曲は、GSの曲を手掛けていた橋本淳とすぎやまこういち。                こちらのバックも前作に続き、オールスターズワゴンが担当しています。

 

橋幸夫「夢見るジェーン」(1968)

「夜明けの二人」のB面。作詞作曲は、佐伯・吉田コンビ。                     末期には歌謡曲化したGS曲としても通用しそうな曲調です。

 

橋幸夫「股旅'78」

阿久悠&井上忠夫(ブルーコメッツ)の作詞作曲という異色の組合せで、股旅演歌&リズム歌謡のミックスにチャレンジしています。イントロがグラスルーツの「百万年の想い」のイントロにそっくりでびっくり。

 

グラスルーツ「百万年の想い」(1969)

グラスルーツは、「今日を生きよう」の大ヒットで日本でも人気がありました。          「今日を生きよう」はテンプターズもカバーしています。                       「百万年の想い」は、この頃からはやり始めていたブラス・ロックをいち早く取り入れたヒット曲です。

 

 

以下は、オマケ?です。

 

橋幸夫「盆ダンス」(2005)

 

橋幸夫「サンシャイン」(2018)