被災地との交流PartⅡ 3 | やえちゃんのブログ「自分らしく輝いて生きるために」

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心のことやスピリチュアルなことを中心に、大好きな大島優子ちゃんやAKB48のこと、日々感じたことなどを書いていきます\(^o^)/

ここからは、新しく続いている内容になると思います。

優ちゃんの対応は、本当に頭が下がります。

握手会で、いつも大人気の優ちゃん。
一人だけ長蛇の列で、いつも居残りなんだよね。

その大人気の優ちゃんが、握手会の合間にこの対応…
握手会に来てくれるファンも大事だけど、
遠いところから来てくれた賓客に、最高のおもてなしですよね(*^_^*)

では、そのおもてなしの続きです。


星


岩手県山田町の皆さんと子供たち、ご当地ヒーロー・マブリッドキバさんとの交流

【マブリッドキバ Google+】より


(続き)
しかし、帰るギリギリまで優子さんは歩いて付き添ってくれた。

「帰っちゃうんですね。あんまりお構いもできなくて…
 これから山田町まで、岩手県に帰るんですよね?遠いですよね…
 本当に遠くまで来てくれて感謝しているんです。本当に嬉しかったです。
 これでこれから被災地に行く仲間にも、こうだよってアドバイスできるし、
 私も知りたかったことが知れたんです。
 向こうは、もう雪ですよね。皆さんにもよろしくと伝えて頂けますか?
 体だけは、体だけは大切にしてくださいね。
 ここからが始まりですよね?また会えますよね?
 それまで、どうかお元気で」

そして見送られて、オレは会場の外に出た。

支配人部屋の戸賀崎さんに無事に皆さんに届けたことを話して、
温かく見送られながら、そのまま岩手への帰路についた。

そして山田町へのAKB訪問から、実に1年5カ月が経った。

今でも事情がある被災地のお子さんからのリクエストがある度に、
握手会に出かけて、伝言やお礼を伝えている。

優子さんは子供たちから最も人気がある人で、いつもリクエストが多い。
なので、毎回取れる範囲で握手会に行く。
今ではすっかり覚えてもらっていて、行く度に笑顔で、

「あー!来ましたね!待ってました。元気にしてましたか?いつもどうも!」

と迎えてくれる。
気遣いがすごくて、こちらに気づいた時点で挨拶してくれて、
握手の時間を有効に使い、子供たちのメッセージに答えようとする。

子供たちはどうしてるのかとか、被災地訪問をして思ったこととか、
自分が思ったことを聞いてくることも多いので、一番緊張してしまう。

でも子供たちの伝言やメッセージには、完璧にキチンと答えてくれる。

基本的には優子さんは、嘘はつけない人だ。だから、気安い約束はしない。
だからこそ、

「必ずまた行きますね。皆さんに伝えてくれますか?」

と静かに微笑んで言う時は、近いうちに被災地訪問に行きますよ、
という意味がある。

一番最初の被災地訪問だった、大槌町と山田町について聞いた話だ。
AKB48グループの皆さんが、初めて被災地に入った時のことを、
少し書こう。

一番最初に被災地訪問したメンバーは、大島優子さん、篠田麻里子さん、
柏木由紀さん、指原莉乃さん、松井玲奈さん、山本彩さんの6人だ。

被災地へはバスで向かった。メンバーの皆さんも運営の皆さんも一緒だ。
被災地に行って、出来ることをやろう。
何かをしたいと思ったからこそ、一番先陣を切ったメンバーの皆さんは、
静かに意志を固めていたそうだ。

そしてバスは、沿岸被災地手前の岩手県遠野市に入る。
このあたりでも屋根の瓦が落ちていたり、道路の隆起はすごかった。
バスは山を越え、沿岸の釜石市に入った。

そこでメンバーの皆さんと運営の皆さんは絶句したそうだ。
ひしゃげた車、全半壊した建物、沿岸は想像を絶するほど破壊されていた。
メンバーの皆さんは語ってくれた。

「どうしようって、思いました。
 だって、私たちの想像を遥かに超えていたんです。
 こんな目にあって、全てを失った人もいる。
 苦しんでいるのに、そんな人の前で、
 私たちが踊ったり、歌ったりということが間違っているんじゃないかって」

そして優子さんが語ってくれた。


星


次回は、優ちゃんの言葉から始めますね。

優ちゃんたち、最初の被災地訪問のメンバーが見たこと、感じたことを、
こうやって一つ一つ書いていると、涙が出そうになります。
どれほどのショックを受けたかと思うと、本当に胸が痛くなります。

続き、すぐアップしますね(*^_^*)