退職して、三日目の朝だった。
目覚ましをかけずに起きることに、まだ慣れていない。
静かな部屋で、太陽はしばらく天井を見ていた。
「さて、どうするか」
そう呟いてから、小さく笑う。
もう「会社に行く」という選択肢はない。
始めたのは、占いだった。
もともと趣味で続けていたもの。
誰かに頼まれたときだけ、ひっそりと見ていた。
それを「仕事にする」と決めたとき、正直なところ、大きな自信はなかった。
最初の依頼は、知人からだった。
「ちょっと見てもらえない?」
軽い調子のメッセージ。
太陽は、丁寧に鑑定をした。
カードを並べ、流れを読み、言葉を選ぶ。
結果を送ると、すぐに返信が来た。
「なんか当たってる。ちょっと怖いくらい」
その一言で、少しだけ肩の力が抜けた。
次の依頼が来たのは、その二日後だった。
知らない名前。
「○○さんの紹介で連絡しました」
短い文章。
太陽は一瞬、画面を見つめた。
もう、知らない誰かに届いている。
鑑定は、一つ一つが違った。
恋愛の悩み。
仕事の不安。
人間関係の違和感。
どれも似ているようで、まったく違う。
太陽は、答えを押し付けないように気をつけた。
「こうなる」と断言するのではなく、
「こういう流れが見える」と伝える。
依頼は、「ポチポチ」と増えていった。
一日に何件も来るわけではない。
だが、途切れない。
忘れた頃に、また通知が来る。
ある夜、遅い時間にメッセージが届いた。
「今、大丈夫ですか」
少し切羽詰まった文面。
太陽は、すぐに返信した。
「対応できます」
話を聞くと、相手はかなり追い詰められていた。
言葉がまとまらず、何度も打ち直しているのが分かる。
太陽は、急がせなかった。
「ゆっくりで大丈夫です」
それだけを先に送る。
鑑定の結果を伝えたあと、
しばらくして返ってきた言葉。
「少し楽になりました」
それは、大げさな感謝ではなかった。
だが、確かな変化だった。
その人は、後日また連絡をしてきた。
「前に言ってもらった通りになりました」
そして、こう続いた。
「またお願いしていいですか」
太陽は、スマートフォンを置いて、静かに息を吐いた。
リピーター。
その言葉が、頭に浮かぶ。
収入は、まだ大きくはない。
月によってばらつきもある。
だが、ゼロではない。
「自分の力で得たお金」
その実感は、会社員時代とは違っていた。
ある日、銀行口座の数字を見ながら思う。
「これで、やっていけるのか」
不安がないわけではない。
むしろ、常にある。
それでも、次の通知が鳴る。
「鑑定をお願いしたいです」
短い一文。
それだけで、また仕事が始まる。
太陽は、ノートを開いた。
依頼内容を書き留める。
カードを手に取る。
深く息を吸う。
誰かの悩みに向き合うということは、軽い仕事ではない。
だが、逃げる理由もなかった。
ポチポチと届く依頼。
派手さはない。
だが、確実に続いている。
太陽は、ふと窓の外を見た。
夜の街。
会社にいた頃と同じ景色。
だが、自分の立っている場所は違う。
「まあ、いいか」
小さく呟く。
完璧じゃなくていい。
大きくなくていい。
一件、一件。
丁寧に向き合う。
それだけで、次につながっていく。
通知が、また一つ増えた。
太陽は画面を見て、静かに頷く。
「対応します」
その言葉とともに、新しい一日が、また始まるのだった。
続く・・・。