叙情詩あらすじ
私が徒然なるままに書き綴った日常の断片がこの叙情詩(アフォリズム)である。私の感情の起伏や怒りを観念的、かつリアルに記した詩集である。
では、特別に吟味を重ねた、濃密な内容を味わって欲しい。
叙情詩とは…
(作者の喜びや哀しみなど、心の動きを中核とした詩のことを指す 。)
序
この叙情詩と名付けられた、(作品・詩篇)を知る上で、私というチンケな人間像を知って置く事が、必須条件である。とは言え、残念ながら私を推し量るには本文の全文を読破して頂くしか他にすべは無い。
幾度となく繰り返して読んで頂くに連れて、私という人間像が、浮上してくることであろう。
のみならず私(筆者)の人間像に多大なる影響を与えているさまを、以下の叙情詩に託そうという試みである。
では御拝読頂きたく存じます…
短気で無学で態度のでかい奴、自分の愚かさを思い知れ!自分の短い物差しで私を図るような真似をするな!
私の人間性は愚者と言われても一向に構わない。何故なら私は今という状況を大変満足し、かつ存分に楽しんでいるからである。
比喩を駆使して綴られた詩の数々のなので、やや観念的であるかの様に思えるかもしれないが、実は単純明解なものばかりなので、俯瞰して読んで頂ければ僅かな光明が得られるのではないかと私は信じて疑わない。
のみならず、この書に少しでも多くの読者諸氏のイマジネーション(imagination)へのアプローチ(刺激剤)となって、巧妙で新たなるストーリーが生まれることを祈っている。
私の心は揺るがない。
幾多の障害が待ち受けようとも、私は平伏すことは絶対に有り得ないのだ。
「お前はケチだ」とよく言われるけれど、私は人を見ているだけの話である。
つまりケチな相手にはケチな態度で対応する。目には目を、歯には歯を…。と言う単純明快なことである。
私の処世術は、ややもすると、茶番であると罵られるかもしれない。
しかし、人の噂話を気にする偽善者だったり、八方美人の考え方には、私はついて行けない。
私は人様に好かれようと嫌われようと一向に構わない。他人の顔色を窺って日々を送る程、無様な生き方は無いと考えているからだ。一体全体何が正義で、何が悪なのか、侘しい世の中になった。
多少のイザコザがあるのは当たり前である。気にするな!堂々と生きて行け。誰かが観ている。誰かが聞いている。
人生にはターニングポイントなど存在する筈はない。もしも、あるとしたならば、それは「死」であろう。
人は生まれた瞬間に、運命が決められているのだ。
この事に一刻でも早く気が付けば、人生というものに執着せずに、死をも恐れない精神力が身につくであろう。
人は何故、自分の能力以上の見返りを求めるので有ろうか?自己評価は低く謙虚さを装っているにも関わらず、「給料が安いだの、残業が多いだの」と愚痴を漏らす。飽くなき探究心は良いのだが無駄な事に金を使いすぎるのだ。自分で自ら鍛錬する事だ。
人は何故、恋愛に純粋に向き合うのであろうか?この世の中には、男と女が存在する限り避けては通れない定めであり、本能であると推測出来る。
しかし私の場合は特別な条件がある。つまり女性の外観から、その女性の性格や気質に至るまで見抜くことができて、大抵の場合、その険しい難関をパスした女性は、何故かしら美女である。この方程式は、必ずと言っても良い程的中する。
美とは愛情に満ち溢れた性欲に宿るものだ。
この悲痛で殺伐極まれ難い文章を地球上の世の中に解き放つには、数多くの叱咤を巻き起こすことになるだろう。
私は執筆にあたり、多数の壁(難関)に衝突したが、その度に背中をそっと、押してくれた人がいる。それはまるで本書を、この世の中に一石投じろ、とでも言っているかの様であった。
私は実に欲深い男かも知れないが、それはそれで一向に構わないと思っている。
女性を一人体験する度に自分が一回り大きくなったような錯覚に陥る。
しかし私といえども四十二歳を境にして、全てが崩れ落ちた。
しかし私は過去のことは気にならないし、気にしない。常に前進だ!前進あるのみ‼︎
性的な描写が 、ガイドラインに違反していると指摘されるが、私は官能小説を書いているわけでは無い。
性的な記述は、いわゆる隠し味であると捕らえている。
男女関係において欠かすことの出来ない行為なのだ。私は、濡れ場を描く上では、常に観念的であり、写実主義ではない事を付け加えて置きたい。
私は、執筆に当たり、気が狂いそうになったが、私は過去にこれ程までにして情熱を傾けて、執筆活動にエネルギーを費やしたことは、一度も無いと言って良いだろう。
人生の晩年を飾る渾身の一作と言っても決して過言では無いだろう。
歓喜乱舞する様な驚愕の事柄に遭遇した事実があったとしても、決して浮き立つ事無かれ。
人間の五感に訴えかけてくる喜びの感情の大多数の全ては幻なのである。よく教育された者であっても、この幻と言う罠に一喜一憂してしまう事だろう。であるから、人間という化学物質の訓練を怠ってはならない。
私は作曲•絵画•執筆を創作するにあたって、一般に克く言われるように「何かが下りてくる」と表現されるが私にも少なからず同様な部分もあるが、大きく違う事が一つある。
それはアイデアを待つのではなくて取りに行くということである。何処から降りて来るのか?又、何処に取りに行くのかは、人それぞれであるし、「わからない」あえて、その「わからない」に焦点を当てて考えて見ようと思う。この「わからない」の存在は万人に与えられている訳では無い。
極少数の芸術家達が持っている特殊能力で、正しく其れこそ生まれ持った鬼才に与えられるものだ。
しかし天命(神)はイタズラ者で、多くの芸術家達の命を奪うと言う引き換えの交換条件にしているということだ。
私は、現状では不満足なのである。地球人の美貌な女性と出会えることを楽しみにしている。
私はその女性と一緒に現役から退いて、二人で密かに、ゆったりと隱遁いんとん生活を送りたいのだ。
私に取って不可能な事など何一つ無い。痩せ我慢ではない。
何故なら可能なこと以外には初めから手を出さないのである。
極めて簡単で当たり前のことである。
魂とは生命体である全てのものに宿る核でありエネルギーの悟りの境地である。どんな逆境に立たされても決して揺るがない不屈のプライドであり決してぶれない命の根源であると言えるであろう。又、才能とは、この魂に拮抗した存在であり居連託生するものなのである。
公称為しえずして偉大な成果を得ることは出来ない。芸術的活動や道程は、恋愛に非常に酷似しているからだ。
恋とは如何なる時も無償でなくてはいけない。僅かでも金銭が絡む時に、恋が醜い憎悪に変わっていく。
魂とは生命体である全てのものに宿る核でありエネルギーの悟りの境地である。どんな逆境に立たされても決して揺るがない不屈のプライドであり決してぶれない命の根源であると言えるであろう。又、才能とは、この魂に拮抗した存在であり居連託生するものなのである。
公称為しえずして偉大な成果を得ることは出来ない。芸術的活動や道程は、恋愛に非常に酷似しているからだ。
恋とは如何なる時も無償でなくてはいけない。僅かでも金銭が絡む時に、恋が醜い憎悪に変わっていく。
アヴァンギャルド(革新的な芸術)なものの捉え方は可能性を無限に広げると言うことにある。しかも私はアヴァンギャルドに加えてバロックの様式美を具現化したいと常に考えている。
芸術的であると言うことは、如何にして人非人になれるか?と言うことである。
つまりどの道を歩もうとも、万事においてマイスターとよばれる為には、避けて通れないプロセスであろう。
又、芸術的思考における脳内で起こる。微弱な電気信号の遣り取りに充分な注意と敬意を払わなければいけない。自分の中に存在する自我を称賛しよう。この方法に従えば恐れるものは無い。
偶然と言うことは、最初から信用していない。
全ては必然なことの連続の上に人生という時間だけが形成されているのである。
薄情な奴程情に脆い(もろい)心の中で泣き叫んでいるものだ。
お前のような阿呆は幼稚な推理小説でも呼んでいるのがお似合いだ。
この文章は決してチンケな自己啓発本ではない。
この事に身に覚えがある者は、この書が朽ち果てるまで繰り返して読むべきである。
欧米の人達の心の中には世界一の信者を誇るキリスト教というバックグラウンドが必ず存在する。
海外の書を読む必携条件は、先ず聖書を読むことである。そうする事によって、より一層理解が深まるのだ。
厚顔無恥な奴等が、やたらと蔓延って(はびこって)いる。愚にも付かない多くの奴らは、どの世界にも居るものだ。
平凡と非凡の違いとは、実は凡人と言う枠組みの中から、一歩足りとて足を踏み出すことは、不可能である。が、しかし、このメカニズムを理解出来て、凡人の枠を越えることが出来て、初めて鬼才か天才のいずれかだろう。しかし、自分自身が天才や鬼才であることを自覚出来る人も希であると言えなくもない。
自らの探究心を滞らせてはならない。常に多種多様にアンテナを張り巡らせて情報を獲得しなければならない。ということとは裏腹に他からの 影響を全く受け付けないと言う精神状態も必要不可欠なことであり、創作活動に置ける道程であるのだ。この二つの行動(動作)は、大切であり、必須であると言える。
私は如何なる組織や、権力を持った団体にも一切屈しない。
魂を養うのだ。抑圧されればされるほど、私の反骨精神は増強されて行く。
即ち私を抑圧できるのは、私しかいないのだ。私を超える事の出来る者は私しか存在し得ないのである。
信じるということは、自分の全てを曝け出すということだ。
悪魔との取り引きによく似ている。かくいう私も、芸術の為なら喜んで命を悪魔に差し出すであろう。
つまり、私の芸術活動は、常に生と死の狭間を綱渡りする様なものである。
完全とは、完全な者には宿らないものである。
不完全なものに宿るのだ。それは、まるで水の様に柔軟なのだ。
硬いものは壊れやすく脆い。しかも小回りが効かない。柔らかい者は、状況に応じて自由自在に適合する。
これこそ無限の法則]の入り口の基本概念である。(Infinity Theory)
人生を保守的に感じた時こそ、大きな隙が出来る。
もしもそれらに遭遇した場合には、どう対処すべきなのだろう?その答えは全て、世の中に山積している。探せ!されば、与えられん!
若い頃に、沢山の苦労をしている人は、他人の痛みや苦しみに対して優しく出来る。
人の苦しみを身を持って体験しているからだ。と、いうことは苦労をしている人のキャパシティの方が苦労知らずの人と比較すると、遥かに上回っていると言う事だ。
又、器が大きいとか、懐が深いなどと言われている所以である。
「神にあったら神を斬り、仏にあっても仏を斬る」と言ったのは、宮本武蔵である。
その道を切り開く事のできた者のみが口にできる、超アクティブな武蔵の言葉に賛美の拍手を贈りたい。
知識を得ようとする場合、古い概念を捨てなければならない。
私の場合、もっと奥深く、信念に関わる部分を指す。そのメカニズムを分析して、自分にとって有意義なのか?と思ってスキャニングして見ることだつた。
この様なプロセスを損得感情は考えてはいけない。
真実を見抜き、見透す力を養ってからの方が賢明かも知れない。
芸術とは、雲や霧を掴む様なものである。もしかすると、生涯追い続けて行く無限ループなのかも知れない。ゴールは作家の死後かも知れないのだ。
この果てしない旅をしている私は、愚か者であろうか?
又、芸術とは、目的を持たずして、只ひたすら心に映し出されたものをどれだけ忠実に具現化し得るかにかかっている。仮に、金銭を目的とする意識を持って芸術に向いあった瞬間に、全てが崩壊する。注意を怠ってはならなぃ。
人生という荒波のなかで、私の様な異端者は、大抵社会から爪弾きにされる。が、しかし私自身は一向に気にしていないのだ。逆に言えば、その方が心地よいと感じる事も時折ある。
私は孤独癖があるせいか、他人に邪魔されることなく、死が迫りよってくるのを、感じながら、創作活動に没頭する事が最高の至福の時間である。
直線ではダメ、曲線でもダメ。では他に何をどうすれば良いだろう?。そうだ!何もしなくて良いということだ。
私の生涯は、とても醜い虫ケラの様な生活でした。正常な人間の営みというのが検討さえ付かないのです。
正義論者から見れば、私はマヌケと見れるであろう。又無知で無学な偽善者から見ても、私はバカと呼ばれる。
何者にも屈せず、何言にも惑わされない様な頑固さの一つや二つ持っていたいものだ。
天才とは、大地から湧き出る原水の様に、渇くことを知らない水流が、次から次へと美しい音色を伴ってイメージが具現化していく事に酷似している。
しかも水は、どんな型に囚われる事は無い。つまり変幻自在という事だ。この比喩が理解できる者は平凡であり、鼻で笑う様な人こそ非凡であることに違いない。
私の行く手を阻む邪悪な者達よ、其処退け!道を塞ぐうるさい蝿共よ、其処退け!邪魔だ。消え失せろ!即刻私の前から立ち去れば、その時私は密かに喜悦するだろう。
君の名は、決して忘却しない。何故ならば、あなたは私にとって特別な存在であるからだ。君が私の事を、どう思っていようと、私には構わないのである。
理解しやすく、容易に読めると言うのが私の文章の大前提だ。難解で複雑なものを紡ぎ出すのは、とても簡単なのである。かと言って、徒然なるままに、赤子の絵本を書いているわけではない。
私は、外部からの刺激が無いと創作意欲が半減する。その刺激とは怒りの感情が揺さぶられることが効果的だ。
又、自分のバックグラウンドや統計的な見地から見ても、私は著しく抑圧されると、まるでスプリングの様にいきよいよく飛び跳ねるのである。
創作活動に於ける私のプライドとは自由奔放であり、変幻自在である。のみならず。水の低きに流れる様に、リアルで写実的な表現に富んでいると言うことだ。
グラフィックデザイナーと芸術家の相違点を理解して頂けるであろうか?適切な比喩が見当たらないが…。
グラフィックデザイナーは用意された積み木を組み上げて行くのに対して、芸術家というものは、積み木そのものを創り出すと言えるであろう。
デザイナーと作家では、使用している脳の部位が正反対なのである。この事を深く潜在意識に刻み付けることが第一の関門なのだ。
その先は、漆黒の闇であり一度でも足を踏入れると逃れる事のできない領域に達するのである。狂乱の無限ループの前では自己を見失ってしまう。
光あるところにには必ず影が出来る。当たり前の自然ので摂理であるある。自然的であるが無理のない思考パターンなのだ。
「自分は価値のある人間か?」ある意味、狂気の質問だ。「自分の評価は自分で下すのだ。」それこそ狂気の沙汰である。移り行く、現代社会において自分を俯瞰して見ることは、殆ど皆無に等しい。
平和は天使が窓惑わせる。不幸も同宵である。ひ人は悪を成すときをも天使が姿を現す。天使は善なりか悪なりか?神は、時折冷酷で残忍極まらないそうな、姿を見せることがある。
勿論、創造主として、地球人として、地や人に齎すこともあるのだが…。
人を惑わす、悪意に満ちた邪悪な生き霊達よ。我が命令に従え!ひれ伏せよ。我が魂の核心に触れるような事を止めろ!立ち退くのだ。され!立ち退くのだ醜い生き霊よ!地獄の底に叩き落としてやる!
私はここに掲載した数々の詩を、特定の人に向けて居るかのように読めるかもしれないが実は、全ての相手は影である。
自己満足の領域から脱却するのだ。他人に自分を合わせるな。オリジナルだ!取り違えるな。人間は一人では生きていけないと言うのは遠い昔のお伽話であるのだ。
人を惑わす悪意に満ちた堕天使達よ、我が命令に従え!我が命令に従ひれ伏せる光線魂の核心に触れるな、去れ!消えろ!達置くのだ。醜い生き霊たちよ!地獄の底に突き落としてやる‼
私は時折人からバカにされて、舐められる傾向にある。神秘世界での自己防衛は完璧なのだが…時として思いもよらない肉体的攻撃を受けること少なく無い。
私は目つきが悪いとか、良く言われる。勿論その様な事を言うのは、決まって男性に限られている。丸きり不愉快で、忌々しい事だ。
理不尽と言ってもいい足りない。無神経と言えば軽薄だ。
恨むも憎むも私の勝手なのだ。しかしこれだけは言っておく。
私に敵対心を感じさせる事だけは止めて置いた方が賢明だ。
これこそ私の取扱説明書なのだ。
神への冒涜を誓った私は、この後どの様な難関が待ち受けていることであろう?それは堪えがたいものかも知れない。しかしながら私は、如何なる試練であろうとも、私は悪魔崇高主義を貫く所存である。これこそ黒魔術師としての象徴なのだ。
又、神を冒涜する為には、神の存在や神に寄り添わなくてはいけない。神に対しての最低限の知識が必要である。そうした知識と経験を元にして、あえて神を背くのだ。
影を知るためには光を知るという事が必要不可欠なのある。
又、私の心には魔物が憑依している。それは突然脳裏を過る。「ふっ」と現れて消えていく殺意である。この狂気は留まる事は無くて、小動物を見ると、首を絞めるか、ナイフで刺し殺してやろうとさえ考えが浮かんでは消えるのだ。
これ以上描写すると、この世の偽善者達を敵にまわす事になると思うので、この程度に差し控えようと思う次第である。隣人を愛する事など私には不可能であるし、「姦淫を犯すな」と言うこと言う戒私には、到底無理難題なのだ。
卑怯極まりない巧妙な手口で、私を騙し、金品を奪おうという真似は、止めておけ!手口がWンパターンなんだよ
。繰り返す!私を騙のは止めておけ!金に目の眩んだメス豚達へ。
私は、カトリックの洗礼を受けたクリスチャンであるが、悪魔崇高主義の道を歩んで行こうと思案してる。(悪=罪)と決めつけるのは、大間違いの、誤解である。
又、悪魔崇高主義の証(象徴)として私は逆五芒星のしるしを肌身離さず着用している。新たなる黄金の夜明けであり、自己啓発の始まりである。
又、私はこの逆五芒星を身に着けると、様々な事柄が私の前に出現した。私は数多くの情報を入手した。生半可に、神だの仏だのに縋ること無く、私の身体はどんどんと悪魔の世界へと誘われて、外界からの干渉が一切遮断されたかのようであった。それは言語を絶する世界が広がっていた。
私の人生の5分の4を芸術と黒魔術に身を捧げて来ました。ですかあらその副産物として。おはようございますと挨拶を交わすのが億劫で、恐怖を感じるのす。人に対して少しでも告白すろと、それを回避するのが道化でした。
あとがき
私はここに掲載された数々の詩を、特定の人に向けて、所謂陰口を言っているかのように読み取られるかも知れないが、それは大きな誤解である。
私の矛先はの全ては影である。光の有るところには必然的に影が出来るという自然の摂理である。
私は反骨精神が旺盛で、「出る釘は打たれる」と言う言葉をとても忌み嫌うのである。
束縛を嫌い、地位や名声や権力・肩書きもすら嫌う、果てしのない自由人であるが、創作活動に置いては命をも削る姿勢で取り組む鬼才であり狂人である。
私の心には魔物が憑依している。それは突然脳裏を過る。「ふっ」と現れて消えていく殺意である。
偽善者に この狂気は留まる事は無くて、小動物を見ると、首を絞めるか、ナイフで刺し殺してやろうとさえ考えが浮かんでは消える。これ以上描写すると、この世の偽善者達を敵に回す事になると思うので、この程度に差し控えようと思う次第である。
隣人を愛する事など私には不可能であるし、姦淫を犯すなと言うこと言う戒律は到底無理難題なのだ。
叙情詩 完