ハグリッドです。

 

今日は、僕の過去の経験を

少し書いていこうと思います。

 

現在50代半ばで、

 

  • 親から継いで赤字経営だった酒屋の立て直し
  • ウェブビジネス副業の二足の草鞋
  • 双子男児の子育て真っ只中

 

と、いろんなことが同時進行中です(・ω・)ノ

 

というところまでは、

プロフィールに書いてはみたのですが

1個大事なことが抜けていましたっ💦

 

そ、れ、は・・・

親から継いだ酒屋が、赤字経営だったこと、

このことを知ったのは、僕が

10年間サラリーマンとして勤めた

自動車関連の会社を辞めて、

 

実家の酒屋の二代目店主として

店頭に立った2日目のことだったんですw

 

 

あっちゃーーーーーーー

サラリーマン辞めなきゃよかったーーー

親父、お袋、それ早く言ってよねーーー

 

 

って、、

晴天の霹靂とはまさにこのこと

いうんじゃないかってくらい、

 

たぶん、

その日は空が本当に晴天で

なんとも言えない気持ちで

東京の空を仰いだ記憶がありますww

 

サザエさんみたいに

家族の綺麗なドタバタ(?)には

全くもって、なっていない、

酒屋経営ハグリッド家の過去から今までを

率直に書いてみようと思います(*´ω`)

 

きっと、読んでくれるあなたに

謎の勇気を届けられるんじゃないかなぁ・・・

ってことで、本編いきまーす!

 

 

***********

 

 

夏になると蝉が鳴くのは、

子どもの頃は「いつのまにか」

くらいの感覚でしたが、

 

鈍感な僕でも、さすがに30歳過ぎると

東京って7月入るあたりで

蝉が鳴き始めるよな~なんて

だんだんと世間のことが

わかって来た時期でしたw

 

深夜でも近所の公園で

蝉が大合唱しているような

そんな真夏、サラリーマン歴が

ちょうど10年目くらいの頃

だったでしょうか。

 

時計の針は23時をすぎていた頃に

妹から僕の携帯に電話が入りました。

 

こんな時間に、妹から、

一体どうしたんだろう?と思いながら

半分うとうとと寝ていたのを隠しつつも、

 

 

「お兄ちゃんだけど、どうした?(キリッ)」

 

 

と、カッコよく返事を

したつもりだったのですが・・・

 

 

「お父さんがお店で倒れて・・・」

 

 

と、慌てた様子の妹の第一声に

僕はびっくりして寝ていたベッドから

飛び上がった瞬間に足を踏み外して

ベッドから、おむすびころりんみたく

床に尻もちをついてしまいました(-_-;)

 

 

「アテテテテ・・・お、親父どうした?大丈夫か?」

 

「ちょ、お兄ちゃん今変な音したけど、どうしたの?お兄ちゃんこそ大丈夫?」

 

「お、おう、俺は大丈夫だけど、、親父は?」

 

「閉店作業をしていた酒屋の店内で、ちょうどレジのところで、急に胸が痛くなったみたいで、顔面蒼白になってレジの前にしゃがんでいたところを、常連さんの○○さんが見つけてくれて、、」

 

「で、きゅ、救急車で病院に?」

 

「そう」

 

 

妹曰く、ありがたいことに

常連客の方が店に救急車を

呼んでくれて、今は

 

近所の▲▲大学病院で

大事を取って1泊か2泊検査入院

するそうだが、意識は

すぐに戻り救急車が来る頃には、

 

自分の状況や体調を

救急隊の人にも伝えることが

できたらしいとのこと。

 

でも、念のため、

妹も母も親父の入院先の

大学病院にまだいる

とのことだったので、

 

僕も急いでタクシーを呼んで

病院に向かうことにしました。

 

親父の容態は、大事には至らず、

過労やストレスが重なって

 

一時的に虚血性心疾患?

 

というような病名が

ついたような記憶がありますが、

もう詳しくは忘れてしまいました。

 

結果的には、

このことがきっかけで

僕はサラリーマンを辞めて、

実家の酒屋の跡を

継ぐことになります。

 

蝉がミーンミーンと鳴く季節から、

ツクツクボーシが鳴くあたりに

なった頃には、僕は会社に

事情を話して退職の意向を伝えて、

 

その年の11月末までは

引き継ぎなどで有給休暇を

消化しつつ、在籍させて

もらえることになりました。

 

11月末までの在籍で、

12月上旬に出ていたボーナスも

満額支給でもらえるとのことで、

上司が配慮してくれたのは

 

 

あとあとになってそのありがたみを至極痛感して、めちゃくちゃ感謝した

 

 

ものです。。

 

やがて、有給を

連続消化できる期間に入った

その年の11月上旬には、

実家の酒屋の取引先だった

お酒の製造販売と卸業を

している会社で、

 

研修のような形で

酒屋の流通形態を

学ばせてもらいました。

 

時給でですが、

給料を出してくれたのも、

これも

 

 

あとあとになってそのありがたみを超絶痛感しました。。。

 

そうなんです、なぜ僕が、

 

 

"あとあとになって給料が出ていたことに感謝しまくっている"

 

 

のか、、、それには

大きな理由

あります(-_-;)

 

 

その理由とは、

その年の12月16日だったでしょうか。

 

世間はクリスマスシーズン一色で、

シャンメリーなどの子ども向けの

ノンアルコールのシャンパン風飲料も、

お酒と一緒に売れる時期に、

 

僕は実家の跡を継いで

二代目酒屋店主として、

初めてお店に立ちました。

 

そんな初日は、仕事で覚えることがいっぱいだったのと来客数が多くて、あっという間に1日が過ぎてしまいました。

 

ですが、2日目、少し余裕が出てきて、レジのところを見ているうちに、

 

 

「ん?そういれば、うちの店って売上どうなってるんだっけ?」

 

 

と思って、店の帳簿が保管してあったレジの裏の事務所にさっと入って、それを持ってまたレジに戻って、開いてみました。

 

 

えーーーーーーーー

 

 

会計のことがこの当時、僕はあまり知識がなかったのですが、素人が見ても赤字の帳簿だとわかる数字ばかり毎月毎月書き込まれていまして(-_-;)

 

ちょ、待てよ、僕の給料はどうなるの?(キムタク風味にカッコつけてみたけどw)

 

ってぶっちゃけ思ったのですが、そんなことより、この店の経営が来年は大丈夫なのかとめちゃくちゃ心配になりました(遠い目)

 

それでこの時に、

 

 

あっちゃーーーーーーー

サラリーマン辞めなきゃよかったーーー

親父、お袋、それ早く言ってよねーーー

 

 

って、関東の冬晴れで

雲一つない青空に向かって

僕は世界の中心で何かを叫ぶじゃないですがw

 

  1. 嫁もまだいない
  2. アラサー独身男性
  3. しかも酒屋めっちゃピンチ
  4. 給料大丈夫か

 

みたいな、やっほーな状況で

半分絶望に近い気持ちになりました。

 

親父、お袋、店が赤字経営だってこと

もっと早く言ってくれよ、とorz

 

ただ、当時はまだ、

自分の家族がいなかったのは

幸いだったかもしれません。

 

僕は案外プレッシャーに弱いので

身一つで、一応、実家で

ご飯や住む部屋は確保できたので

 

仕事さえすれば、

何とか乗り切れると思ったからです。

 

それに当時はまだ30代半ばで、

まだ体力もありました。

 

翌年、店の修繕に必要なお金は

僕のサラリーマン時代最後のボーナスと

あと、研修のために働かせてもらった

酒の卸販売の会社からもらっていた

アルバイト代を足して、ちょうど

トントンになったんですよね。

 

だから、ホントありがたかったものです。

 

そんなわけで酒屋の経営立て直しに

めちゃくちゃ奔走していた真っ只中、

 

たぶんあの当時で、

酒屋3年目くらいだったかなと思うのですが

それが2011年でして、そうなんです、

あの東日本大震災が起きました💦

 

東京は、揺れじたいは

震度5弱くらいだっかなとは思うのですが

それでも、店舗に陳列してあった酒類が

全部地震の揺れで床に落ちて

瓶が割れてしまいました。

 

今はペットボトル入りの

お酒も出ていますが、

当時はほとんどが瓶で

それ以外は紙パックみたいな

感じだったでしょうか。

 

僕の店は、ガラス瓶のお酒の

取り扱い量が結構多かったので

仕入れた商品はすべて売れなくなった、

と表現してもいいくらいに、

 

店の通路には、地震の揺れで

棚から落下して割れて中身が出てしまった

ウィスキーや日本酒やワインなどの

複合したお酒の独特のアルコール臭が

店に充満してしまい、僕は

ツンと鼻につくアルコールの匂いを

嗅ぎながら、途方に暮れていました。

 

でも、仕入れてくれた業者さんのおかげで

そして、親父のことを助けてくれた

常連客の方々のおかげで、

酒屋が開店できるので、ここで

僕がくじけるわけにはいきません。。

 

もう少し追記しておきますと、

自分自身のピンチだけに気持ちを

向けるのではなく、すぐに思い直して、

 

 

「震災でもっと大変な思いをされている方は、たくさんいるはず・・・」

 

 

と、自分だけが大変ではないと

自分に言い聞かせて、仕事を

とにかく頑張ろうと奮い立たせました。

 

綱渡りみたいな経営でしたが

なんとか以前からのお客様に支えられて

仕入れの支払いも超綱渡りしつつも

酒屋の経営をどうにかこうにか継続。

 

その翌年か、翌々年に、

2度目の東京オリンピックの開催が

ブエノスアイレスで決定されたことで

東京の地価が上昇傾向になったのを

見計らって、

 

慣れ親しんだ自宅ではありましたが

心機一転のつもりで売却をして

その資金を元手に、酒屋再建に乗り出して

ようやく収支が安定して来た頃に、

 

僕は、妻となるアリーナと

出会うことになります。

 

 

 

***********

 
 


※次回予告~!

初めて出会った妻は強かった!

僕は初めて強い女性に惚れて...

結婚→妊活→双子男児だと判明で、、、

嬉しいやらお金の心配やらで

盆と正月が同時にやってきたような

経済的に複雑な感情になり、、、

乞うご期待ですっ

 

【第2話】へ続く

 

 

 

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