震災から三年になる。
地震があった時、私は埼玉県に住んでいたので、仙台で震災を経験していない。
震災後、埼玉では、しばらくの間、お米や卵、インスタント食品、ミネラルウォーターなどが手に入らなくなってしまった。
ふるさとの応援に仙台へいった夫や、仙台市に住む夫の両親に送る品物を、探し回った。
けれども、宅急便を送ることができなかった。
無力だった。
余震が、たびたび起こる。
街では、不安そうな顔、声。
今まであまり聞かなかった、怒鳴りあう声も聞いた。
私は、咳がひどく出るようになり、マスクが手放せなくなった。
埼玉では、計画停電があった。
夜間に順番が回ってくると、あたりは真っ暗になり、冷えた。
被災地は、もっと暗く、寒いのだろうと思うと、申し訳ない気持ちになった。
計画停電の夜。
服を着込み、ロウソクを灯す。
そこへ、光が差し込んだ。
長男が、学校の授業で使った豆電球を、防災用のヘルメットに付けて、現れたのだ。
トンネル工事のような、思いがけない姿での登場に、驚き、笑った。
確かに、懐中電灯を持ち歩くよりは、両手が使えるので、便利かもしれないと感心した。
この時の明かりをとても明るく感じた。
心が明るくなると、まわりの景色も明るく見える。
喜びや楽しさに、瞳は輝くが、実は、瞳だけでなく、全身が光るのではないかと思った。
私は、子供達を何としても守ろうと思っていたが、実のところは、子供達の存在に支えられていた。
私は、目を閉じて、内側の光を探していた。
暗闇の中から見えてくるものがあった。
何をテーマに生きたいか分かった。