いっときの安らぎから、また悲しみの感情へと行ったり来たりしているみたいに、自然界も、そんな空模様だった。
今日、一番町商店街には、数カ所、東日本大震災の献花台が設けられていた。
女性たちが並び、手を合わせる姿が目立つ。
チューリップやスイートピー、たくさんの花々が供えられていく。
私は用事があり、急ぎ足でその場所を過ぎた。
とても大切なことを後回しにしてしまったような気がしてならなかった。
用事が終わり、ようやく献花台で、手を合わせた。
そして、14時46分の黙祷の時間に合わせ、お店の人たちも表にでてきて、商店街の両脇には、ずらりと人が並んだ。
放送の鐘の音と共に、黙祷。
黙祷後、一斉に、ひとびとが流れはじめ、ハンカチで涙をふく女性の姿もみえた。
私は友人の話を思い出していた。
″地震のあと、自分の持っている非常食を他の人たちに配っている人がいたの。
でも、避難所で、自宅から持ちこんだコーヒーを飲んでいる人もいて、いい匂いが漂ってたの。
隣には、食べ物がない、おじいちゃんとおばあちゃんが座ってるのに。
あの時、私は神様に試されているんだな、と思った。
夜になって、外に出たら、明かりがないから、いつもは見えない星がたくさん見えて、ものすごい星空だった。〟と。
私は繰り返しこの話を思い出す。
光がなくなった時、見えてくるものがある。
私もあの時、死について考えた。
その分、自分の価値観や生き方を見直さずにいられなくなった。
足元を揺さぶられて、揺るぎない自分になりたいと思った。
東北は、ずっと大きな痛みを抱えている。
原発の問題もある。
痛みに蓋をしてしまうのでなく、お互いに、知らせよう、知ろう、わかり合おうとしなければ、取り返しがつかなくなる。
思いやり、愛、平和が循環する、本当の意味での豊かさへ向かいたい。
小さな思いやりさえ、さし出せないなら、到底そこにたどり着けない。
東北の悲しみに寄り添い、祈りを続けていこう。