今年の春に、仙台メディアテークで開催されて、たくさんの人が見にきていた。
真珠湾攻撃を境に、アメリカ西海岸に住む日本人、日系アメリカ人たちは強制収容された。
手荷物ひとつ、砂漠の有刺鉄線で囲まれた収容所。なにもない。
日用品から作り出さなければならなかった。
そして、それらは、次第に、装飾的な家具や仏壇、ブローチなど、芸術的な作品になっていった。
もちろん、すべてがブリキや廃材などでつくったもの。
しかし、なんとも言えないアートを感じさせる作品が並んでいた。
たった棒きれ一本、紙切れさえ、大切な表現道具だった。
制限されたなかでの、表現の喜びと、そこに込められた思いが、静かな叫びのように、生々しく感じられた。
その一点、一点にこめられた思いイコール、個人の尊厳の表現なのだ。
花のブローチ。砂漠深くから掘り出した貴重な貝殻でできている。
そんな小さな貝殻を、いくつも並べてできたブローチをつけた女性の、喜びのあふれる姿が想像できた。
また、その貴重な装飾品は、だれかへのこころのこもる贈り物だったのかもしれない。
築き上げたすべてを人から取り上げられても、不屈のこころと愛があった。
彼らに、過酷に立ちはだかる自然はどんなふうにみえたのだろうか。
そして、どんなふうに見方を変えていったのだろう。
砂漠の太陽に希望、夕陽に感謝、吹く風に安らぎを感じる、そういう瞬間があったのだと思う。