今朝は長男がコーヒーを淹れてくれた。
コリコリと挽いた豆に挽きたてのいい香り、そして長男とのとっておきの会話。
私は長男との会話が好きだ。
会話がウィットに富んでいて明るく、知識量も多いから、へー、そうなんだって教えられることもしばしば。
彼が最近読んだ本について熱く語っている傍ら、子育てについて考えていた。
特に不満があるわけではない。
みんないい子。健康で、明るくて、、、、
と、ここまで書いて、これ以上何を望むことがあるのかと、手が止まる。
そう、もうこれ以上望むことなど何もない。
四人とも個性豊かで、笑顔が可愛くて、自分の人生をそれぞれが楽しく生きてる。
そんなメンバーが今、一堂に集まって『家族』をやれてる。
すごく幸せ。
それなのに、タイトル通り、心の片隅でとやかく思う私がいる・・・
親として、親の立場でものを考えるから、自分の経験則や物差しに合わないと
先回りして、心配したり、とやかく言ってみたりする。
ちゃんと勉強したの?
進級大丈夫?
彼女出来た?
せっかく大学生なんだからもっといろんな経験をした方が良いよ・・・etc
子供を子供として捉え、一個人単体として見てないから、
あれこれ自分の差しでものを言ってしまう。
『ママって、なんだかんだうるさいよね?
いっその事、めちゃめちゃうるさいお母さんになれたら、逆に吹っ切れて面白いの にね~』
と、長男と笑い合う。
『でも、キミ分かる?親の気持ち。
どの道を行こうが君たちの人生。
そうは思っていても、でもあっちが良いんじゃない?
こうした方が良いんじゃない?って思うわけよ。
最終的には、親は子供がご機嫌で生きてくれてたらそれで良し、なんだけどね。
でも子供は親にはそんな事、思わないだろうけど・・・』
『子供もそう思ってるよ。親がご機嫌で生きてくれてたらそれで良し!』
あぁ、そうなんだ・・・なるほど。さすが長男!
いつも彼の何気ない言葉に救われる。
以前、主人が会社をクビになって、生活を立て直していく中、
苦しくなって長男に、『こんな我が家でごめんね』って言ったら、
『おかん、心配すんな、うちは全て規格外や!』
って笑顔で言ってくれて、すごく泣けた。
今も思い出すと、じわ~と涙が出る。
いつも立派じゃないママを受け入れてくれて、ありがとうね。
長男から学ばさせてもらう事多し。
親は立派でいる必要はないし、迷っていいし、弱音も吐いていい。
それを言える場所があるから、逆に自分の方向が見えてくる。
有難い。やっぱり、このメンバーで家族になれたことに感謝です。
今の私は、
親としての"エゴ"と、子供を一個人として"認められる"かの葛藤。
子育ては親育て・・・・ありがとう。成長しよ。