死化粧をした母の前にバラバラだった家族が集まった。
自分のせいだ、と壁に寄りかかり泣く父親。
正直
"そうだよ。"と思った。
いや、私は父に言った。
"毎日毎日怒鳴ってなんだったの"
毎日毎日、お山の大将で過ごしていた父。
いつも、母に何か言う時は怒鳴りつけてた。
母もだいぶ免疫が付いてきたのか泣く事は無くなったけど、実家にたまに帰っていた私でさえ…
こんな怒鳴る人がいるとこに居たくない。
と直ぐに帰っていた。
何で落ち着いて普通に話せないのか?
バカなのかな…っていつも思ってた。
私が帰っていた母が亡くなる前日も、2階にいる母に向かって案の定一階から怒鳴ってた。
母は"私が来てるの知らないからまたあんな言い方しとるとよ"って。
怒鳴る父親が嫌で家を出たのを知ってるから私がいる時は極力怒鳴らなくなっていた。
結局、あの人の怒鳴り癖は何一つ変わってなく、毎日毎日母を怒鳴ってた。
かなりのストレスだったと思う。
あんな環境下に毎日いたら、正直おかしくなるだろう。
そんな愚痴を母はお友達にも言ってなかった。
1人で抱えてた。
私は生前何もしてあげられなかった…と自分を責めたけど、
毎週"あそこに連れて行って!"と車をお願いして外に連れ出していたのは少しは息抜きになってたのかもしれないと思った。
きっと、毎日あんな人といたら心も病んでしまうはず。
タバコもお酒も飲まなかった母は心臓大動脈乖離で亡くなった。
そこに大きく影響していたのは
ストレスだ。と元看護師の従兄弟が言っていた。
医者を相手にする大きな医療に携わる兄も病気の勉強はしていたので知っていた。
こう言うことを言うべきじゃないけど
私たち兄弟は
逆だったら良かったのに。と思った。
母を自由にさせたかった。
毎日毎日、父親に怒鳴られ楽しい事はない生活。
かと思えば、長男の嫁だからと父方のボケた姉の世話も1人でしていた。
父方の姉妹は母に丸投げだった。
正直、父を含めたこの姉妹達は頭がおかしいと思ってた。あんたたちのお姉さんでしょ?
会ったらいつか言ってやろうと思った。
だがこの時はまさか、お通夜の時にこの事をぶち撒ける事になるとは想像もしてなかった。
母の自由な時間は
なかった。
母がやっと自由になったのは
亡くなってからだった。
前日に
"何か新しい、楽しいことがしたい"と言った母、
それが出来ずに母の人生は終わった。
今日はここまで。
2021.10.08