食(しょく)はこころと

躰を造る






何を躰に取り入れるかは



とても大切なこと。



ただ、




(個人的な偏った考えではありますが)



ご縁が有って



頂いたもの、頂くことになったものは




余程のことが無い限り



選り好みせずに



有り難く頂くことが大切と



感じます。





農薬、遺伝子組み換え、F1品種、
ゲノム編集、化学肥料、添加物、虫食い、
腐りかけ、好み等関係ないです。
アレルギーで食べれない場合は除きます。
昆虫食品は日本人が伝統的に食べてきた
イナゴ、ハチの子のみ食と認識です。





戦中、戦後の食糧難の6~7年を




過ごされた先人達のご苦労。



(あまりにお腹が空いていて、食品以外に手を出したエピソードは数知れず。絵の具が甘かったとか。彼岸花の茎、根も解毒して食べたとか。さらには〇骨まで。)




また歴史上の飢饉、飢え、飢餓、餓死




を考えますと




贅沢は言えません。




ただただ目の前に




食べ物が有るということは



涙がこぼれ落ちるほど




有り難いこと。



食べ物を頂く際は、


『この身に関しまして


授かりましたお食事、


誠に有り難うございます。』



と胎内記憶で小学五年生で有名になった、



すみれさんのおすすめの言葉を言うか、




心中で思ってから



頂いくのが、心身にいいと感じます。




過去の偉人は食にどの様に向き合ってきたの



でしょうか。



釈尊は牛が倒れる程の毒を飲み水に



入れられても大丈夫だったとのことです。



但し、事前に知っていること、



覚悟が条件とのことです。



僧が毒を摂取していく



修行も有ったとか。



和多志達の様な一般人でも事前に



覚悟することは、結果に大きな違いが



生まれるとのことだそうです。



釈尊はきのこ粥を食べて、



下痢をしながら死んでいったとの



逸話もありますが、



食事を提供して下さった



貧しいご老人が善意で



お布施したこと、



もし釈尊が食べなかったら、



そのご老人が食べていたかも




しれなかったことが、




痛んでいるきのこを食べた理由だそうです。







時間までコントロール出来ていた



釈尊がご自身の意思で、



死因と死ぬ時期を決められていたとも



言えそうです。
 



もし釈尊が若い頃に同じ事があったら、



そっと見えないように捨ててたかも



知れませんと、



 ある解説者が仰ってました。




皆さんはどんな気持ちで食に
相対していらっしゃいますか?


肥料と農薬の歴史的背景 

戦後の食糧難の時に、農薬はある意味
救世主的な存在だったとか。

絶対量が必要な時に腐ったり、害虫にやられた作物よりは農薬まみれでも食べれる作物は確かに有り難いでしょう。
 ですが戦勝国が窒素の肥料と農薬とをセットで
売るためならばどうでしょうか。

窒素は確かに葉肥えと呼ばれ


作物を太らせます。


ただ虫が付きやすくなるのです。



そこでこちらの農薬はいかがですかと。



窒素は自然農では農薬の入って無い



米ぬかと野菜くず(油かすも )で

充分かと・・。



戦勝国の方針に従わないと・・。



一人一人の和多志達が出来ることは、


自分の手で野菜を育てること。



それと普通の野菜より有機野菜、


有機野菜よりは無農薬、無肥料野菜、


添加物の少ない食品を吟味して


購入して生産者を応援すること。



食の劣化があらゆる病気、ガン、発達障害や自閉症、精神病までもの発生率を上げたと、、、真しやかに、、、その対処は現代西幼医学の対処療法で対処されていて、、、



病を治す一番の方法は

滋養のある
野菜、食べ物を食べること
!!


旬の野菜は安く栄養価が高く、虫が付きにくく瑞々しい。同じ種類、品種、同じ畑で育てられていても、一つ一つの作物の個体差、成長の差はあります。同じ畝でも場所によって陽当たりも違います。僅かな傾斜にや水の流れで土中の養分の割合いが変わったり、畝の端は育ちがよかったりと。



高い薬にお金を出すなら、
いい食品に!!



 衣食住の中でも、
食が一番大切ではないでしょうか!!




合掌🙏