自分の自由とは。 | 背番号13をつけた乱射魔のメモ

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このブログはどうでもいい日記を書き、たまにわけのわからんことをかくブログです。下手な小説を書きたいなぁ。


 自分の自由なもの。



 生きること?いや違う。


 生きれるのは、自分以外の人に自分のできないことを

 埋めてもらって生きている。

 自由に生きているという錯覚。

 そして死は突然に、理不尽に、簡単に、何の意味もなく、

 人から「生きる」ことを奪ってしまう。自由などない。


 

 死ぬこと?いや違う。


 理想の死は誰にも訪れはしない。自殺で死を選んだ者は

 自分で決めたものではない。

 それは錯覚だ。選ばされているだけ。ただそれだけなんだ。


 誰も死んで行くものの後悔、真実の思いは・・・

 知らない。ただの憶測に過ぎない。


 

 夢?いや違う。


 夢は自由にではない。時間を犠牲しても

 すべての願いはかなわない。


 「夢かなえた」ものに問う。何も妥協はなかったか?

 その「夢」は最初に描いた「夢」か?


 完璧な夢などない。夢に自由はない。

 夢は「制約だらけの契約」。

 自分自身を縛るための契約。


 

 生まれてくる場所も、自分の親も、顔も、性別も、

 過去も、未来も、現在でさえ、

 自分に選択の「自由」など存在しない。


 

 

 なら何が自由なの?何もないのか?



 違う。「「希望」」を持つのは自由だ。


 どんなに絶望の淵に立っていたとしても希望はもてる。


 希望は描くもの。かなえるものではない。

 ただ自分の心(ここ)に持っているもの。


 希望は他人に縛れるものではない。

 自分が忘れなければどんな希望を持つことも自由なのだ。


 希望は描くものどんなにキャンパスが

 汚れていてもいいのだ。


 描くものが、醜かろうが、歪んでいようが、

 身分相応ではないものだとしても自由なのだ。



 


 ただ「希望」はかなえようとすれば、それは「夢」にかわる。


 夢には自由はない。時間を使い、代償を払い、制限がかかる。


 希望を描くことが自分の唯一の自由だと思う。




                                  BN.13