5年生の頃から休みがちになり、
2、3時間目に間に合うように通学することが増え、
6年生の2学期運動会が終わった頃からは、
ほぼほぼ不登校になっていきました。
どうしてだろう、なぜなんだ?と思っていました。
専門書をたくさん読んで、講演会や研修にも参加していても、
娘の本当の気持ちはわかりません。
本人は、友達と遊びたいし、勉強もきらいではない。
学校の行事も参加したいし、習い事も続けたい。
でも大好きだったピアノも通えなくなってしまいました。
林間学校や修学旅行は行きたくて楽しみにしているのに、
当日は、起きて朝の準備ができません。
行けなくなると後でかわいそうだと思い、
私も必死にあの手この手でギリギリ間に合わせましたが、
発達障害というものの頭の構造がわかりません。
本当に行きたかったのかどうかもわかりません。
親の期待に応えたいだけなのかも、、
今思えばですが、
スパッと5、6年生は行かせないほうが良かったと思います。
行けない日は行かなくていいよと優しく寄り添ってあげたかったです。
その時は、少しでも行けるなら行こうか、行かないとという感じでした。
そして卒業を迎え、待ちに待った中学生活が始まりました。
最初の数ヶ月は張り切っていましたが、
また2学期頃から雲行きが怪しくなりました。
なんとか行かせようとするばかりに、娘の精神状態は安定せず、
体も心も悲鳴をあげていました。
どうすることもできず、私は毎日途方に暮れていました。
その当時の私はというと、生きる屍状態でした。
全ての原因は産んだ私にあると本気で思い詰めていました。
そんな矢先、
夫のアメリカの実家に、夫がしばらく戻らないといけないという事態になり、
娘のアメリカ行きが決まり、
トントン拍子に話が進みました。
娘がまたアメリカでも同じことになるのではと考えましたが、
さすがに娘自身、家族を巻き込んでまで、甘えていてはいけないと覚悟を決めました。
渡米してから4年間、泣いたり笑ったりいろいろありましたが、
中学生から高校生になりました。
この4年間、休むことなく多少の体調不良でも学校に行っています。
夫といるより学校のほうが何倍も楽しいのでしょう。
アメリカの枠にはめない自由さが、娘には合っているのかもしれません。
今は大学受験に向けて前を見ています。応援するしかないです!
本日も拙いブログを最後まで読んでいただき、ありがとうございます!