僕を見れば既に覚醒♪

COSMOBOYです♪

 

 

 

 

 

 






最近「君の名は」で有名な新海誠監督の「天気の子」を観ました









今作もスピリチュアル的な意味合いの強い作品だったよ












天氣を動かせる女の子と家出少年が主人公の話だよ
















映画の中で








「天気はたんなる自然現象ではなく、想いや運命や世界そのものの象徴」








と言われてたのと同じように










天氣は人の思考が反映されます


















晴れ女や晴れ男、雨女や雨男という言葉は









結構みんなも自然につかったことあるんじゃないかな















映画でいう天氣の巫女(みこ)っていうのが実際にいたように










天候っていうのも実は変えることができるよ


(劇中では神様の力を借りてっていう話だけど、人間自身が本来持ってる力でも可能だよ。
でもこれにはいろんなことを思い出したり、条件とかもあるんだけどね♪)


















まず、「自分は晴れ女」って潜在意識レベルで思ってると
(顕在意識で思ってるのとは違うよ♪)



それはその通り天候に反映されます








それ以外にもいろんな要因があるけどね♪














思考は現実化する







ってのはその通りで









それが当たり前のように思ってるとそうなるって感じかな






















劇中では特にそうだけど





なにに向かって願うかっていうのがこの現実世界でもとても重要だよ














映画の中では神社の鳥居で神に直接祈った瞬間に





陽菜は天氣を動かす能力を手に入れたんだけど










前のブログにも書いたけど

 

 

 

 

 

 

神様に直接つながりお祈りすると




無意識レベルで神との契約が発生してしまうよ














劇中の陽菜もまんまその通りで体が透けていくようなシーンがありましたね








神に祈って願いを叶えてもらうと




神の能力をもらう代わりに




体が透けたりといった代償が発生してしまうことがよくあるよ















もう少し現実的に言うと





健康が損なわれたり力が悪くなったりといったことも普通にあるんだ
 

(現実的に言ってるのか、これは??笑 でもあるんだ笑)
















でも神にお願いしなくても





本来人はいろんな能力を持っている














ただ忘れちゃってるだけなんだ


















だから神社でもそうだし







日常生活でも






コスモ的には神様にお願い事はしない方がオススメだよ♪










動画でもこのあたりのこととかをもう少しわかるように話してるのでみてね♪






















神社行ったときとか







普段の生活でも







神にお願い事なんてのはしないで







感謝を伝えるだけでいいよ














お願いなんてしなくてもそもそも神様は人のことを見てサポートしているからね














コスモ的にこの映画のスピリチュアル的な意味合いの最大のポイントは








最後の方に帆高が言ったセリフ♪










「神様、お願いです。これ以上僕たちに何も足さず、僕たちから何も引かないでください。」













このシーンは、コスモ的に観ると






神に願うのではなく





自分が神より上でも下でもないという自分自身の可能性に目覚めた瞬間





つまり





帆高は無意識だけど





自分自身が神の一部であるという一つの「悟り」に近づいた瞬間ですね















神に願ってるときって







人はまだ無意識の中で






自分は「不十分」で「力がない」「未熟な存在」だから







神にお願いして祈るってことをしているんだ

















でももっと広く大きな宇宙的観点から観たとき





人っていうのは





そもそも神様にたよんなくてもパーフェクトな存在なんだ

















まだ「未熟」とか「できない」っていうのは







人が自分自身をジャッジしているだけなんだ



















本当はできないものはなくて全てできるんです



















これに

 

 

 

 

 

 

本当の意味で

 

 

 

 

 

氣づいていくと

 

 

 

 

 

いろんな可能性が開けていくよ


















帆高が






無意識だとしても






「人と神に差はなく自分たちにもすでに同じ感覚があるってことに氣づき、そしてそれを選ぶ選択をした」







ってことがこの映画ではとても大きな意味があるよ


















社会のためとか役割のために生きるのではなく






純粋に愛で生きるという選択をするのはとても大事デスネ



















そして陽菜が





「神との役目と思っていた使命を手放し帆高の手をとった」その瞬間っていうのは









陽菜自身も







神より下とか上とかのない自分自身で生きると決めた瞬間ですね


















僕たちはみんな自分の選択した人生を送っている















神様のせいとかっていうのも存在しない




















劇中では帆高は「自分たちが世界を変えた」って言ってるけど













コスモ的に観ると





そもそも初めから自分たちが選択した世界をただ生きているだけなんだよね












雨で東京が水に沈んだ世界で生きていくという現実を帆高たちは創りあげた









帆高が決めた瞬間、そういう現実が生まれたんだ








そのとき、帆高が決めなくて、晴れの東京が存在するパラレルっていうのも同時に生まれる















見えないところでパラレルはいくつもいくつも存在する














これが帆高や陽菜から見た真実は「自分たちが世界を変えた」だけど





本当は人の数だけ真実ってある









例えば圭介から見た世界は



「二人が世界を変えた」ではなく



「この世界は初めから狂っている」= 二人が変えた訳ではない












これはどっちがあってるとか間違ってるとかではなくて







どちらも真実なんだ




















人の数だけ見える真実は違って





生きている世界も違うんだ










真実についてもまたもっとブログや動画で話すね♪


















でも意識しなくても







忘れちゃってるとしても







どんな人も自分たちが全て選んで決めた世界に








今、この瞬間生きているんだよ













一人残らず全員だよ♪

















自分の選択が今日のあなたを創り上げているってのがこの世界の真実だよ




それがどんな環境だったとしても













そしてそれはいつからでも変えられるよ







あなたが望むなら決断し行動するノダ♪



















今日も最後までみていただきありがとうございます









 

 

 


動画でもここに書ききれてないこと話してるので見てね♪

 

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またね♪