先日の日曜日から天使の仕事を再開しました。

すると日曜日が八件
月曜日が八件
火曜日が七件。
皆さんブログで天使の仕事再開を見て連絡くださる方もいらして本当にありがたいです。

初めていらした方の紹介での予約もあり

本当に感謝いっぱいです。

天使さん相変わらず、そのかたが言わなくても、その人の得意分野とか使命をどんどん教えてくれます。


だから来たとき不安そうな顔が一気に笑顔で帰っていかれるのを見ると

こちらまで幸せになります。

母と同じ年代の方々もこの三日間で10人ほどさせていただきましたが
母の分まで幸せになってほしいという願いを込めてさせていただきました。

まだ正直、母の年代の人が息子さんや娘さんを思って涙されるのを見ると

親の愛っていいなぁと思いこちらまで涙が出てしまうのですが、

私にとってまた深い学びの時期でもあります。

とにかく天使さんはその方に何か伝えたくてたまらないようです。

今日も予約いただいていますから、その方に心を込めて天使のメッセージ伝えていこうと思います。

あなたが今日も自分らしく笑顔の1日を過ごせますように〓いってらっしゃいませ♪
風がそよ吹くだけで 涙が出てきてしまうの

お礼の電話をしたいのだけど、優しい言葉をかけられると やっと止まった涙がまた溢れてくるから
お礼の電話もかけられない無礼を許してください

母の面倒を見てきたと思っていたけど

支えられていたのは あたしだったんだと

失って初めて気付く母の存在の大きさ

あなたが励ましてくれたように

私は娘として母に尽くしてあげられたのでしょうか

母は私を産んで娘に持って幸せだったと最期思ってくれたのでしょうか


いずれにせよ、母はもういないし
声も聞くことはできない

覚悟はしていますっていってたけど

大切な人の死に覚悟なんて簡単にはできないのだと痛いほど感じる


一人になると泣きたくなるから
一人にならない

運転中も泣きたくなるから
何も考えないように車を運転する

みんなでいるときは笑える
心から笑っていると思う

誰かといるときは寂しくない

また明日からは私を必要としてくれている人たちの天使の予約が入っている

その時間はその人の幸せのために集中できる時間

悲しみは少しずつ少しずつ癒えていくのだろうか

思い出しても泣かないで微笑みながら思い出せる日がくるのでしょうか


今は優しいそよ風さえ
母を思い出して悲しくなります。


みんなこんな思いをしていたのね…

みんな乗り越えてきてるんだね…


私の分まで親孝行してあげてね。

私の言葉に耳を傾けてね。
お父さんお母さんに優しい言葉をかけてあげてね。

一緒に過ごす時間を作ってあげてね。


あなたとあなたの大切な人が今日も幸せな時間を刻めますように…。
おはようございます。皆様には、お忙しい中で母の為にたくさんの方がご会葬くださり、本当に感謝の思いでいっぱいです。
夜遅くまでお茶出しのお手伝いまでしていただいて、皆様には本当に感謝しかありません。鹿児島市からわざわざ海を渡ってきてくださった方、県外からお花や弔電をくださった方々

本当に私は皆さんに支えられて生きてるなぁとつくづく感じました。

母が亡くなってから本当にバタバタで父も高齢のため、弟も頑張ってくれたのですが、長女の私がほとんど把握していたので、色々な手配に追われて、昨日やっとホッと一息つきました。
ホッと一息ついたら朝から涙が止まらず、

天使の部屋に行き、一人で母を偲びました。
母が肌身離さず持っていた青色の巾着袋を開けて中を見ると、

母の携帯が出てきました。充電してみました。

携帯の発信履歴を見て号泣しました。

母が私にかけているのですが

最後のほうは もう押せなくなって

途中まで番号を押してあきらめている日もありました。

そしてわたしの番号の末尾は3144 なのですが
さいごで2144と押したり、3144444となんども押したり、

しっかりしていた母が携帯の番号すら押せなくなってきていた…でもそれでも私に一生懸命 かけようとしてくれていた事を思ったとき

私は 涙がとまらず昨日は声をあげて泣きました。

あんなに泣いたのは生まれて初めてかもしれません。
本当に泣くときは人は
えーん、えーんって声を上げて泣くんだなって

そのあとは一歩も動けなくなり 夕方近くまで部屋を真っ暗にして眠りました。

哀しみがあとからくるってこういうことなんですね。
大切な肉親やパートナーを失った人達はこんな辛い時間を過ごしてそして普通に生きているように振る舞っているんだなと思ったときに

また もっと周りの人を大切にしていかないといけない。と強く感じました。


誰かが悲しんでいるときにその悲しみを一緒にからってあげられるよう、少しでも癒せるような自分にならなくちゃと思いました。

皆さんがくださったたくさんの愛や恩は私も生きている限り皆さんに返していきます。

本当にありがとうございました。

最後に
葬儀の時に喪主挨拶は、父ができなかったので私が代わりにしました。その挨拶をみなさんにもここで読んで頂いて、私から母への最後の手紙とさせていただきます。

ご会葬いただきました皆様にひとことご挨拶申し上げます。私は娘、小夜子です。本来ならば喪主の父がご挨拶するところ、ごらんのように高齢ながら、ここ数日 母の看病に付きっきりで憔悴しておりますので、遺族、親族一同を代表致しまして私がひとことご挨拶を述べさせていただきます。
本日はお忙しいところを亡き母の葬儀にお集まりくださいまして誠にありがとうございました。
母もさぞかし喜んでいることと思います。今日ここでご挨拶するにあたり母宛に手紙を書いてきました。恐れ入りますが読み上げさせていただきます。

母ちゃんへ
母ちゃん、やっと楽になったね。やっと痛みから解放されたね。この一年間は父ちゃんも国光も私も母ちゃんも本当に辛くて苦しい一年だったね。母ちゃんから毎日来る 助けての電話に耳をふさぎたくなった介護の日々でした。
死にたいと泣く母ちゃんに、そんないっても死ねないから仕方ないでしょ!と言い返してしまう毎日でした。あんなに明るかった母ちゃんが 毎日辛いと泣く、それを聞くのが耐え難い毎日でした。
でも電話もかけてこれなくなる日がこんなに早く来るなんてわかっていたら、知っていたら、もっともっと優しい言葉をかけてあげれば良かった…
そんな悔いもあります。
でも父ちゃんも82才の老いた体で毎晩夜中も起きて母ちゃんの看病をよくここまでしてくれたよね。
母ちゃんの誕生日には食べられないのに自転車でケーキを買いに行ってくれた父ちゃんだったよね。国光も姶良と行ったりきたり一生懸命やってくれたよね。母ちゃんに喜んでほしい一心で、ラジオ出演も頑張っていたよね。
でももう国光のラジオを楽しみに聴く母ちゃんはいないんだね。私の事を立派な娘です、と褒めてくれる母ちゃんはもういないんだね。
私も国光も母ちゃんに喜んでほしくて自慢の子供といってほしくて頑張ってきたんだよ

でも母ちゃん、私は母ちゃんの安らかな顔をみてホッとしてる。やっと楽にさせてあげられたんだって。
そっちにいったら、ばっばんもたえこおばさんも、みさこおばさんもいるから天国で手と手を取り合って会えるよう祈ってるね。

そして最後にね、母ちゃんにとって人工呼吸器をつけたままの最期の四日間はとても苦しかったと思う。だけどね、ごめんね。
私は小学三年生のときからもう一度も母ちゃんと手を繋ぐことなく大人になってきてね、最後の最後、ずぅっと手を繋げて母ちゃんを看取れて嬉しかった。

ずぅっと手を繋ぎたかった。
だから苦しい思いをさせたけどごめんね。
母ちゃん、私を産んでくれてありがとう。弟を産んでくれてありがとう。私たちはここにいらっしゃる方に支えられています。こんなに素晴らしい人達に囲まれて生きています。

だから心配しなくていいからね。

今までありがとう。

そしてさようなら母ちゃん。
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