今日で、平成の時代が幕を閉じます。
氏神様へ、平成時代へのお礼参りに行ってきました。
平成を惜む雨が、しきりと降っていました。
私にとって、平成という時代がどういう時代だったのか、振り返ってみました。
私が、小学6年生の時に、昭和天皇が御崩御されました。
平成という元号が発表されても、なんだかしっくりこず、
小学校は、昭和63年度卒業となり、
中学校は、平成元年度入学となりました。
この頃、時代の大きな変換がやってきていました。
BS放送も始まり、世界中のニュースをリアルタイムで見ることができるようになっていました。
ソビエト連邦の崩壊から始まり、ベルリンの壁も崩壊し、いつしか東西ドイツの統一も実現していました。
それと同時に、湾岸戦争も始まり、世界中では様々なことがうごめいていました。
混沌としている中、自民党は野党になり、社民党の党首が総理大臣になるという大きな政権交代の流れがあり、
そして、さらに混迷を極めると、地下鉄サリン事件が起こり、阪神淡路大震災が起こりました。
この時は、高校3年生でした。
中学〜高校の6年間は、私にとって、最も暗い日々でした。
能天気に、ただひたすら楽しく過ごしていた小学生までの日々は、幻だったかのように、辛く悲しいことばかりの平成の始まりとなりました。
平成の始まりが、私の青春の始りでもあったのだと思います。
それまで気付かなかった、周りの人たちとのギャップが、どんどん明らかになって行って、
同じ人間なのに、こんなに考えが違うものかと驚くことばかりの日々でした。
ずっと仲良しだったたくさんの友達も、生きる希望を失い、ただ毎日を惰性で生きている。
自分らしく、伸び伸びと自分の為の人生を、堂々と歩んでいけばいいと思うのに、
みんな周りの目を気にして、出過ぎないように、外れないようにばかりに神経を尖らせて生きるようになっていました。
私は、わざと、出すぎて、みんなの輪から外れて見せて、自分らしくイキイキと生きることは怖いことではない、素敵なことなんだと伝えたかったのですが、誰もついてこようとする人はいませんでした。
みんなウジウジ引っ込んで、影で愚痴ばかりこぼして、なんの改善にもならないことに時間を費やして、無駄にただひたすら時間だけが過ぎ、体だけは大人になってゆく。
私は、そんな人生は嫌だ!
とにかく、どんな批判を受けても、私は自分の信じる道を進む以外、選択肢は考えられませんでした。
それでも、なかなか思い通りにはならないことばかりで、失望につぐ失望、絶望感と孤独感で一杯、
生きる希望もほぼ全て失い、流石にもう死んでしまいたいと思っていたころ、今のスカウト会社の社長に出会いました。
それは、2000年8月のことなので、今から、19年も前のことになるんだな〜
私の人生は、この2000年の出会いが新しいスタートとなりました。
とはいえ、このスタートは、言葉では言い尽くせない大変な日々の始まりとなりました。
それまで、洗脳されてないつもりでいた自分の脳みそが、それまでの環境の中で生きるために、だいぶ感性を鈍らせ、適当なところであきらめるクセがついており、なかなか自力で生きる力や思考力が持てず、もがき続ける日々となりました。
毎日が苦しくて辛くて、どうしようもなかったのですが、この道を選んだことを後悔したことは一度もありませんでした。
毎日毎日、ほんの少しずつ積み上げていく。
時には、その積み上げたものが突き崩される。
だんだんと土台がしっかりしてきて、あまり崩されることもなくなってきたかと気を緩めていると、また突き崩される。
私は、一体、なんのために生まれてきたのか。
なんのために生きているのか。
なぜ、今、生かされているのか。
毎日、近所の交番の前で、その日の交通事故死者数を表示してある札を見ては、
どうして私は生きているのだろう?
毎日、死にたくなくても死んでいく人がいるのに、
なぜ、私はまだ生きているのだろう。
いっそのこと、この死んだ人のうちの一人と代わってあげてもいいのに。
なんて考えるようになりました。
ある日、辛くてどうしようもなくて、、、それでも生きている限りは、何か実のあることがしたい。
世の中のために、こんなにも何かしたいと思っているのに、誰からも相手にされず、
一体、私はどんなに役立たずで、バカなんだろう。
どうしようもないほど、情けなく、悲しみもいつしか怒りに変わって、家族と断絶。
全てを失い、パッパラパー(?)になったころ、ファッションショーを開催するよう頼まれ、
やってみたら、大好評!
このあと、さらに悲しい事実を知ることになりましたが、あまりのひどさにに、もう過ぎ去った過去を思い出して怒っても仕方がないと覚悟が決まり、過去はすっぱり忘れて、前だけを向いて生きていこう!という決意を新たにさせてくれました。
ファッションショーは、今や「世界を変えるファッションショー」と呼ばれるようになり、恐るべき発展を遂げて、先日記念すべき第10回目の開催となりました。
最初の開催の時に、これまで出会った人で既に亡くなった人々、特に芸能関係でお世話になった方々と共に、準備をしている感覚になっていました。
それは、言葉では表現しきれないほどの高揚感をもたらし、自分でも驚くほどのアイディアがどんどん湧いて、とても楽しい夢のようなひと時となりました。
私は、今も、そんな感覚でファッションショーをつくっています。
自分では絶対に出てこないはずのアイディアや閃き、恐ろしいほどの素晴らしい出逢いの数々、そして、自分でも驚くほどの鍛冶場のくそ力を、楽しみながら開催しています。
ひたすら諦めずに、必死に頑張っていると出てくるミラクルな出来事の連続で、ファッションショーは大成功へと導かれていきます。
ファッションショーに関わる全ての人達と、その人達のご先祖様はじめ、ご縁のある方々が、一斉に集い、生きている私やモデルさんやスタッフさんを使って、素晴らしいショーにするために、一斉に力を合わせてうごめいている。
そんな、生きている私達と、既に亡くなった人々がともに開催するのが、私たちのファッションショーとなりました。
たくさんの温かい思いによって大きく感動が膨らむ「世界を変えるファッションショー」
家族をはじめ、全てを失ったと思っていた私が、今では、こんなにも素晴らしいたくさんの仲間とともに生きていることは、奇跡です。
自分の心に恥じない生き方を貫くことは、並大抵のことではありませんでしたが、それでも諦めずに生きてきて、本当に良かったと、しみじみ感じ入っている今日この頃です。
そんな心境で、今日の平成最後の日を迎えることができて、とても感慨深いと共に、それ以上に、見えないところで、国民の幸せを真剣に祈り続けてきてくれた天皇陛下がいてくれたからこその今日なんだ、としみじみ感じました。
3年前に東京駅でお会いした時の写真です。
いつも、どんな時も温かく優しい笑顔を振りまいてくださる天皇陛下と皇后様。
人間として生きるお手本のお二人。
全身全霊で天皇という役割を務めてこられた天皇陛下。
私も、少しでもお二人を見習って生きていこうと思います。
30年間、本当にありがとうございました。
令和へ。
新しい時代は、私達国民一人ひとりが作り上げていくものだと思っています。
国民一人ひとりが主役の時代。
新しく美しい輝ける文化を作り出していこうと、決意を固めております。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。
佐藤美希
追伸。
パッパラパーで居続ける私が、思春期によく歌ってた歌。
渡辺美里の「10years」。
この歌を毎日熱唱していたのは、小6の時。
あっという間に30年もたっていた〜〜〜〜![]()
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これから10年、どんな時代となるのだろう。。。


