「王の王と白龍」主の路程(2026年)
神様の前に立ち帰るためのメッセージです。
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●果てない道を歩むようでも、最後まで行かなければ勝利できません
作詞者の柳光烈先生は詩人で、韓国統一教会の文化部長を長年務められた方です。キム・ドファン氏は既成教会の有名な作曲家で、その弟子を通じて作曲を依頼することができました。
一九五九年八月二十八日の朝、柳先生はたとえようもなく神様が慕わしく、心情的に近く感じられ、熱い感慨が胸にあふれて、「文先生に何か申し上げたい。何か書きたい」という思いに駆られました。その思いを書き留めようとして紙に向かうと、言葉が後から後から湧き出してきたため、感動しながら涙を流して書いたのがこの詩です。
朝食を持って来られても、「ちょっと待って、あとで」と言って書き続けていたそうですから、食事をする気にもなれなかったのでしょう。そのとき胸に込み上げてきたのは、「最後まで行かなければならない。いくら教会にいたとしても、最後まで行かなければ何にもならない」という思いだったのです。
そのころを思い出しながら、柳先生は次のように語っています。
「これは長年み旨の経験を積んだ人なら、だれでも自分の気持ちとして実感できるでしょう。いくら手柄を立てても、いくら苦労した実績があっても、最後まで行かなければ何の意味もないということになる。そんな気持ちが強く表れている詩です。だから、長年歩んできた人を、さらに前へ前へと激励する内容の歌なのです。
迫害もあり、風当たりの強い時代でしたし、文先生も非常に気をつけながら兄弟姉妹を育てていかれた苦しい時期でした。私たちは果てのない道をいつまでも歩いているような気持ちになることがあります。しかし、結局は必ず終わりが来るのです。力を尽くして歩めば、必ず成就の日が来ます。ゴルゴタの峠の向こうで、勝利は呼んでいるのです」
一九六七年、文先生は日本における幹部修練会で、
「私は多くの人に投げ出された。数多くの立派な男性や女性が、最後には先生を捨てていった。見物するためではない。闘いの真っただ中で、だれにも負けない責任を持って闘った者たちだった」と語っておられます。
(『聖歌のゆかり』76~77ページ)
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1.
わが身の十字架を
誰(たれ)に担(にな)わさん
主はこの道を先駆けしを
賜(たまわ)りし御旨
果たせずして
千歳の歴史は血と涙
十字架背負いて我は行かん
ゴルゴタかなたに勝利が歌う
2.
身に過ぎし重荷
負わすべきや
強く歩まば我は着かん
御旨に捧げし
この身なれば
などてためろうや
生命(いのち)の道
十字架背負いて我は行かん
ゴルゴタかなたに勝利が歌う
3.
御旨成すが為 耐え来し父
子もまた共に戦わんや
成さずば苦労も無に等しく
戦い勝てば永遠の幸を
十字架背負いて我は行かん
ゴルゴタかなたに勝利が歌う
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第一部28番「わが身の十字架」1959年柳光烈氏が祈りの中で神への熱い感慨を涙ながらに書き留めた詩。最後まで行かなければならない」という信仰の決意が込められています。
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