真言密教の経典「金剛頂経」をもとに描かれた金剛界曼荼羅

[以下引用]

 

金剛界曼荼羅(**)
■ 金剛界曼荼羅のもとになった密教経典「金剛頂経」は7世紀末から8世紀始めにかけてインドで成立した。「大日経」が訳されたのと同じ頃に、インド出身の僧・金剛智(こんごうち、671年 - 741年)と弟子の不空(705年 -774年)によって中国で漢訳されている。

■ 金剛頂経は、十八会(じゅうはちえ)、つまり大日如来が18のさまざまな機会に説いた説法を集大成した膨大なものである。しかし、金剛智と不空が訳したのは、そのうちの初会(しょえ)のみとされている。

■ 日本で一般的に用いられる金剛界曼荼羅は、成身会(じょうじんえ)、三昧耶会(さまやえ)、微細会(みさいえ)、供養会、四印会、一印会、理趣会、降三世会(ごうざんぜえ)、降三世三昧耶会の九会(くえ)から成る。これはひとつの曼荼羅の9つのブロックと考えるよりも、9つの曼荼羅の集合体と考えるべきで、「金剛界九会曼荼羅」とも呼ばれる。

 

胎蔵界曼荼羅の構成(*)

■ 全体に見ると、金剛界曼荼羅は2種類の流れを形成している。その一つは中央の成身会から始まり、上記の順に右回りに進み最後に右下の降三世会会まで展 開する向下門(こうげもん)と、逆に降三世三昧耶会から左回りに上昇する向上門である。向下門はほとけによる救済の道程を教義的に示したもの、向上門は密 教修行によって日常的な俗世界からほとけに象徴される聖なる世界への展開を説明したものとされている。

■ 胎蔵界曼荼羅とは違って、金剛界曼荼羅では同じ仏たちが、その流れのなかで何度も姿や形を変えて登場する。



(*) 「図解雑学 密教」(ナツメ社)より、(**) Wikipediaより、それぞれ転記