千鳥ケ淵戦没者墓苑(ちどりがふちせんぼつしゃぼえん)は、東京都 千代田区 三番町にある「無名戦没者の墓」である。第二次世界大戦 の折に海外で死亡した日本 の軍人 ・一般人のうち、身元が不明の遺骨を安置するため、1959年 (昭和34年)につくられた。「千鳥ヶ淵」とも表記される。
「以下引用」
渋谷川に架かる並木橋の西の八幡通りの南方の高地が関東郡代の薪山(燃料供給地)だったが、関東郡代が廃された後、勘定奉行が業務を引き継ぎ、三人の代官 が江戸周辺を支配管理した。代官は勘定奉行代官で、代官山の山は地面の盛り上がった山ではなく、生産地の意味の山で、里山の山と同義、こんもりした森か林 を指し、この辺りの俗称だった
下渋谷村代官山。明治22年渋谷村大字下渋谷、同42年渋谷町大字下渋谷、昭和3年下渋谷字代官山の一部を渋谷町の大字代官山とする。同7年渋谷区代官山
町。同35年一部を恵比寿西2丁目に編入、同45年代官山町の大部分に八幡通2~3丁目の道路以東、衆楽町・長谷戸町(ながやとちょう)の各ごく一部をあ
わせた町域を現行の「代官山町」とした。
鶯谷町と同じ理由で単独町である。