夢を託して、新春凧揚げ大会-八重山伝統凧も
1月14日17時4分配信
●凧の歴史と子供の成育祈願
凧の起源は中国の漢。武将が敵城との距離を測るため、
凧を用いたとされています。奈良時代にそれが日本へ渡来、
遊具や神事の際の道具に用いられていました。
これが江戸初期になると大ブームを引き起こし、
絵柄や大きさを競うようになります。
その加熱ぶりは、時として禁令が出された程。
空高く舞う様子は、運気上昇や商売繁盛と結び付けられ、
招福を願って商人たちも凧揚げを行いました。
もともと、凧は遊び道具というよりは祭礼や呪術の道具で、
その年の運勢や豊作などの占いに用いられていました。
凧の飛び具合に、神様の意思を伺ったのです。
また、男の子の初正月や節句の時期、凧を贈り、
子供の健やかな成長と将来の出世を願って揚げられました。
端午の節句に凧を揚げる風習は、今でも各地に残っていますね。
子供の息を吹きかけて悪いものを凧に移し、
糸を切ってそのまま飛ばしてしまうという風習もありますが、
電線に引っかかったら事なので、現在は無理な風習ですね。
●「イカ」から「タコ」へ?
中国で「紙老鵄(しろうし)」や「紙鳶(しえん)」と呼ばれて
いた凧は、日本では「風鳶(いかのぼり)」と呼ばれていました。
何故、「イカ」が「タコ」になったのでしょう。
実は、江戸で凧が流行した際に、
関西人が「イカ」と呼んでいたのに対抗し、
関東人が「タコ」と呼び始めたのが始まりだとか。
「野暮と化け物は箱根から先」というのは江戸っ子の諺ですが、
そのプライドや、上方への対抗心から生まれた「タコ」が
定着しているのは、何とも面白おかしいところです。
都会では場所が手狭なせいか、あまり見かけることのない凧揚げ。
しかし、大空に高く高く凧を揚げると、とても気持ちの良いものです。
自然公園などの大きな広場に出かけて、思いっきり駆け回ってみませんか。
石垣小学校3年生による連凧。1年生の頃から作り続けている(石垣経済新聞)
「平成20年新春凧あげ大会」が1月13日、石垣港新港埋立地(石垣市八島町1)で開催された。主催は石垣市教育委員会主催。
同大会は、八重山地方に伝わる伝統的な凧の継承・発展を図るとともに、新春の大空に舞う凧に夢を託し、新年の1日を家族で楽しく過ごしてもらおうと毎年行われているもの。
種目は伝統凧の部、競技の部があり、参加者の手作り凧が条件。競技の部は、八重山の代表的な伝統凧のピキダーや八角、アヨーの部、凧糸にかけて飛ばし遊 ぶ仕掛けのシャクシメーの部で競われた。八重山凧愛好会による骨組みなどを見る出来栄え審査、凧糸計測を受けた後、実際に凧を揚げ、角度を測る仰角審査が 行われた。
また、大浜小学校と石垣小学校3年生は連凧を揚げた。石垣小学校3年生は1年生から作り続けた249枚の凧を親子一緒に協力しながら揚げる姿が見られ、 長い連凧が風にのると会場から拍手が起きた。児童たちは「6年生まで作り続ける」と笑顔で話していた。そのほか、「歓迎千葉ロッテマリーンズ」と書かれた 凧も目を引いた。
波平長吉教育長は「今日はあいにくの雨だが、凧揚げをするのには大丈夫な範囲。私の凧と皆さんの凧、どちらが高くあがるか競争しましょう。安全で楽しい凧揚げ大会にしたいと思っているので、よろしくお願いしたい」とあいさつした。
参加者は空にあがった凧を見上げ、新春の思いを新たにしていた。