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こころの自然治癒力




菩薩は煩悩の本体無きことを悟っている。ただ対象に触れ、因縁に催されて善悪二つの心が起こり、ここから一切の誤り、貪り嗔り愚かな心が生ずるのである。 (一切経開題)

心はそのまま現象世界である。現象は心を離れて有るものではない。心の外に現象世界が有ると思うのは、とらわれである。(一切経開題)


幸福を外に求める人たち




 心理学ではよくトラウマ(Trauma 外傷)という概念を用います。幼いころに嫌な体験をしたことが心の傷となり、そのトラウマが意識・感情・心理行動に大きな影響を及ぼすというわけです。確かに、こういうトラウマは誰しも少なからずあるでしょう。ただ、そのトラウマを明瞭に意識(自覚)するかしないかで、考え方や行動もずいぶん違ってくるはずです。本人がそれを自覚しないで、潜在意識の奥深くに残っているトラウマがやっかいなのです。




 トラウマに囚われていることに気づかないままでいると、些細なことで過敏に反応して興奮したり、パニックに陥ったりして、自分の心理状態もわからなくなるのです。また人は、育った環境や教育などによって心が形成されますから、同じ現象を見てもそれぞれの心で捉え、解釈も違ってくる。それを当然のことと受け止め、他人との違いを理解しあえればよいのです。しかし強い自我は、自分の目、自分の考えがすべて正しいと主張する。そこに闘争が生じてくる。人類の歴史はその繰り返しです。



 心を病んでいる人は、さまざまな身辺問題は自分の心がつくり出した現象であることに気づいていない。幸不幸は外に原因があると思い込んでいる。だから自分の不幸も他者のせいにして攻撃する。しかし幸福というのは、いくら外に探したところで見つかるものではない。ほんとうの幸福は、心の内に心自身が感じるものです。そのことに気づかずに幸不幸をとやかく言うのは、まさに心の迷いだと、空海はこう断じています。




幸不幸を論ずるのは、皆迷いの世界でのことである。 (宗秘論)



 「花粉症」は、体内細胞が「花粉」を外敵であると認識して免疫反応を起こし、その結果としてアレルギー症状を引き起こす、と医学書では説明しています。そば粉が少しでも入っている食べ物を口にしただけで致命的なアレルギー反応を起こす人もいますし、人体に過敏に反応するアレルギー物質は他にもいろいろあるようです。からだ(細胞)の免疫機能が人によって異なるように、こころにも人それぞれの免疫力がある、と言えるでしょう。こころの免疫力が弱いために、何でもない現象が不安や恐怖を引き起こし、ひどいときはパニック状態に陥ったり、うつ病になってしまう人もいる。

現代社会は至るところにストレスが溢れていますが、人間、生きていく上で適度なストレスはむしろ良い刺激になり、社会全体にも活力を生みます。ところが心身の免疫力の弱い人はストレスにも弱い。ストレスを楽しめず、戦って負けてしまう。ここ数年、私に加持祈祷を依頼されてくる人のなかでも、心の免疫力が弱っている人たちの依頼が、ガン患者以上に増えているのは気になるところです。もっとも、こころの病にかかる人は、どの時代にもいたわけで、弘法大師・空海は、次のように言っています。

病の数が多いのであるから、処方も一つではすまされない。心の疾はさまざまであるから、それを導く教えも一種ではない。 (三昧耶戒序)


病名が病気をつくる

 現代医療の世界では、心身症、分裂病、うつ病、神経症などという病名をつけて治療にあたりますが、「心身症」という病名ひとつにしても、医師や専門科目によってその認識は少しずつ異なっているようです。

 心身症の定義は、「身体疾患の中でその発症や経過に心理社会的因子が密接に関与し、器質的ないし機能的障害が認められる病態をいう。ただし、神経症や、うつ病など他の精神障害に伴う身体症状は除外する」(日本心身医学会)

 つまり心身症は「体の病気であって心の病気ではない」というわけです。ところがこの原因には「精神的ストレスが大きく関わっている」と矛盾したことも言っています。とかく西洋医学は、からだと心を分けて認識するから、定義と矛盾したまぎらわしい病名が出現するのです。

 診断の結果、心身症患者は具体的病名をいただきます。いわく心因性嘔吐症、起立性調節障害、過換気症候群、心筋梗塞・狭心症、緊張性頭痛、甲状腺機能亢進症、神経性頻尿、などなど。何でも分析・細分化して当たる現代医療技術を全否定するつもりはありません。しかし変な病名をつけられて「心が病み、症状が重くなった」という人が多いという事実もまた否定できないのです。つまり心が病をつくり、病名が症状を悪化させることも多い、ということです。

 空海は「心の疾はさまざまである」と述べていますが、その多くは、迷いの心(免疫力低下)がつくり出す「煩悩」と言ってもよいでしょう。