心が大切 『お盆』

ここは田園風景が残る静かな農村。うっすらと明るくなり始める早朝、あぜ道を進むチョウチンの明かりが見えます。稲の花が咲き始め、夏の風に揺れています。


チョウチンの明かりは自分の足元を照らすものではなく、大切な客人の足元を照らし案内するものです。時折客人を気づかうように振り返りながら進みます。


ようやく家に到着すると丁重に客人を仏間に案内します。しかし、客人の姿は私たちには見えません。これは地方に残るお盆の「精霊むかえ」の様子です。


八月十三日早朝に先祖が祭られるお墓にチョウチンを持って行き、お墓の前でチョウチンの明かりをつけてご先祖さまを仏間まで案内します。


仏壇の前には季節の果物や野菜などがたくさんお供えされています。お盆の間、農家のお家は一切の仕事を休み、八月十五日の夕方までご先祖さまの供養をするのです。


この間にお寺から棚経のお参りに行かせていただきます。都会ではこのような行事の代わりにオガラを焚いて「精霊むかえ」をしますが、地方では伝統行事として大切に守られています。



私たち人間一人を形成するのに八百五十万人の血が混じっていると言われています。


私たちには両親がいます。その両親にはそれぞれ両親がいますから祖父母は四人ということになります。その数は代を重ねるごとに倍・倍に増えていきます。


十代前では千人、二十代前では百万人を超すご先祖がおられることになります。では仮に五代前のご先祖が違う人と結婚されていたらどうなっていたでしょう。



それ以降はまったく違う子孫が生まれてくるということになります。どのご先祖についても同じことが言えますが、こう考えていくと私たちは勝手に生まれてきたのではなく、色々な縁をいただいて生まれてきたということに気付きます。その縁のひとつでも書ければ私たちは生まれてこなかったのです。「生きている」のではなく「生かされている」のです。



科学の発展とともに私たちの生活はスピード化され大変便利になりました。しかし、それとは裏腹に心の貧困が問われています。



お盆はご先祖に感謝をする期間です。都会・地方によって供養の仕方は違っても、ご先祖に手を合わせる心は一緒でありたいものです。   



                               合 掌