【文化】奈良・興福寺鎌倉彫刻の仏頭、運慶作だった 住職の日記に明記 作風の変遷が分かる重要な発見
奈良・興福寺に伝わる鎌倉彫刻の仏頭(国重文)が天才仏師、運慶の作だったことが21日、 わかった。文化庁の横内裕人・美術学芸課調査官が、当時の住職の日記に「運慶に造立の褒美 を与えた」と記されていたのを発見した。運慶の作品とされるものは東大寺南大門仁王像(国宝) など10件余りあるが、奈良・円成寺(えんじょうじ)大日如来坐像(国宝)に次いで2番目 に古い。専門家は「運慶の作風の変遷を知る上で重要な発見」としている。 運慶についての記述があったのは、興福寺別当だった信円が書いた文治2(1186)年 1月28日の日記。「興福寺西金堂の本尊が運ばれてきた。大仏師運慶に賞(褒美)として 馬を与えた」とあった。 この本尊は、平氏の焼き討ち(1180年)によって焼失した本尊の再興像で、もともとは 木造釈迦如来坐像(推定約2.5メートル)だったと考えられている。江戸時代に体部を焼失 し、頭部などが同寺国宝館に保存されている。 高さ約98センチ、鎌倉彫刻らしい生き生きとした表情の秀作。作者についてはこれまで、 作風から運慶の父・康慶(こうけい)や兄弟子・成朝(せいちょう)が挙げられていた。 横内調査官は中世史が専門。財団法人・石川文化事業財団(東京都)所蔵の古記録『類聚世 要抄(るいじゅうせようしょう)』を調査するうち、この部分(写本)を発見した。史料は 今月末に出る学術誌『仏教芸術』で紹介される。 運慶に詳しい根立研介・京大大学院教授(日本彫刻史)の話「仏頭の作者については諸説が あったが、運慶作で決着したといえる。運慶の現存作品としては早い時期にあたり、作風の変遷 を考えるうえで重要な発見だ」
奈良・興福寺に伝わる鎌倉彫刻の仏頭(国重文)が天才仏師、運慶の作だったことが21日、 わかった。文化庁の横内裕人・美術学芸課調査官が、当時の住職の日記に「運慶に造立の褒美 を与えた」と記されていたのを発見した。運慶の作品とされるものは東大寺南大門仁王像(国宝) など10件余りあるが、奈良・円成寺(えんじょうじ)大日如来坐像(国宝)に次いで2番目 に古い。専門家は「運慶の作風の変遷を知る上で重要な発見」としている。 運慶についての記述があったのは、興福寺別当だった信円が書いた文治2(1186)年 1月28日の日記。「興福寺西金堂の本尊が運ばれてきた。大仏師運慶に賞(褒美)として 馬を与えた」とあった。 この本尊は、平氏の焼き討ち(1180年)によって焼失した本尊の再興像で、もともとは 木造釈迦如来坐像(推定約2.5メートル)だったと考えられている。江戸時代に体部を焼失 し、頭部などが同寺国宝館に保存されている。 高さ約98センチ、鎌倉彫刻らしい生き生きとした表情の秀作。作者についてはこれまで、 作風から運慶の父・康慶(こうけい)や兄弟子・成朝(せいちょう)が挙げられていた。 横内調査官は中世史が専門。財団法人・石川文化事業財団(東京都)所蔵の古記録『類聚世 要抄(るいじゅうせようしょう)』を調査するうち、この部分(写本)を発見した。史料は 今月末に出る学術誌『仏教芸術』で紹介される。 運慶に詳しい根立研介・京大大学院教授(日本彫刻史)の話「仏頭の作者については諸説が あったが、運慶作で決着したといえる。運慶の現存作品としては早い時期にあたり、作風の変遷 を考えるうえで重要な発見だ」