16世紀 和歌山城跡
3月8日17時1分配信
【16世紀末の溝状遺構。中央の縦に走る2本の白線の内側(和歌山市で)】(紀伊民報)
県文化財センターは6日、和歌山市の和歌山城跡から16世紀末の溝状遺構(幅3メートル、深さ1・2メートル)が出土したと発表した。1585年の築城後、豊臣秀吉の弟・秀長の城代だった桑山重晴が、防御用として使った可能性があるという。
和歌山地方裁判所の増築に伴い、昨年9月から今年1月まで、上級家臣の屋敷地だった「三の丸」を発掘調査した。面積は約630平方メートル。
1585年、豊臣秀吉が紀州攻めの後、紀州支配の中心として吹上峰を城地と定め、秀長が築城した。1600年に浅野幸長が関ケ原の戦功によって紀伊国城主となり、本格的に和歌山城の増改築に着手、城下町などができた。
溝状遺構は20メートル以上、ほぼ一直線に伸びている。溝内からは遺物が出土していないため、屋敷地を区切った溝とは考えにくく、防御用堀の可能性が高いという。屋敷地を整地した地層下から16世紀末の備前焼のすり鉢の破片が出土している。
関係者は「近世の屋敷地が造られる以前の織豊時代の様相を示す貴重な資料になるだろう」と注目している。
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溝状遺構は20メートル以上、ほぼ一直線に伸びている。溝内からは遺物が出土していないため、屋敷地を区切った溝とは考えにくく、防御用堀の可能性が高いという。屋敷地を整地した地層下から16世紀末の備前焼のすり鉢の破片が出土している。
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最終更新:3月8日17時11分