而二不而(ににふに) 恵果あじゃりが、考えた言葉


○はじめに

今回は「而二不二」という言葉をご紹介しようと思います。「而二不二」は、後の半分だけをとって「不二」と呼ぶこともあります。この言葉、普段はなかなか耳にすることの少ない言葉です.


○一つは二つ、二つは一つ

 それではまず、言葉の意味をご紹介して行きたいと思います。
 「而二不二」とは、「而二」と「不二」の二つの言葉がくっついたものです。

・「而二」とは、一つのものを二つの面から見ることで、
・「不二」とは、二つの面があっても、その本質は「一」である、ということです。

一枚の紙を例にとって考えてみましょう。

・「紙には表と裏がある。」というのが「而二」にあたります。そして、
・「表と裏がそろって初めて一枚の紙になる。」と言うのが「不二」にあたります。

つまり、紙には表と裏という二つの面があり、その両方があるからこそ紙が存在しているというわけです。

 このような、表と裏のような、切っても切れない関係が「而二不二」です。世の中には表ばかりのものや、裏ばかりのものはありません。また、表のないものには裏はなく、裏のないものには表はありません。裏は表があるから生まれ、表も裏があるからこそ生まれてきたものです。


○「知恵」と「慈悲」

 言葉の意味のご紹介の次は、仏教の中で説かれている「而二不二」のご紹介です。

 私たちの宗派、真言宗では、仏様の世界を大きく二つに分け、その二つの世界が「不二」であると説いています。
一つ目の世界は、仏様の持つ「知恵」の徳を表す「金剛界」、もう一つは「慈悲」の徳を表す「胎蔵界」です。
参考までに、檀家の皆さんが法事の前に箸蔵寺に取りに来られるご本尊様のお軸(三本)のうち、向かって左に掛けられるお軸が「知恵」の仏様の世界(金剛界マンダラ)のお軸で、向かって右に掛けられているお軸が「慈悲」の仏様の世界(胎蔵界マンダラ)を表しているお軸です。
どちらも大日如来様を中心として、たくさんの仏様が描かれています。

 「知恵」の世界と「慈悲」の世界、これら二つの世界は別々に描かれていますが、実際には一つに融合しているものです。
つまり、だれか救いたいという気持ち(慈悲)があっても救う方法(知恵)を知らなければ救うことはできませんし、救う方法を知っていても、救いたいという気持ちがなければ、やはり救われません。

人間のお医者さんに例えると、病気の人を治したいという気持ちを持っていても、医学の知識や技術が不足していれば、正しい治療を行うことができませんし、どんなに腕のいいお医者さんでも、人を助けようという気持ちに欠けていれば結果は同じです。

「慈悲」を離れては「知恵」の徳はなく、「知恵」を離れては「慈悲」の徳は存在しません。
このように、仏様の世界では、「知恵」と「慈悲」は「不二」なのです。

 私たちが仏様をお手本に、より良く生きていくためには「知恵」と「慈悲」どちらの心も併せ持ち精進していくことが大切です。
しかしながら、現代社会で問題となっている色々な出来事は、「知恵」を追い求めることを優先して、「慈悲」をおろそかにしているために起こっているものが多いように感じられます。
面白そうだという理由だけでパソコンを駆使して偽札を作ってみたり、爆弾を作ってしまったりする人々。
利益を上げるためならば、法に触れなければ(時には法に触れてでも)どんなことでもする企業など。

 このような事件以外でも「自分さえよければ」や「自分のことで精一杯」は、あちこちに見られるように思います。
様々な情報や誘惑にふりまわされて自分を見失いそうになる世の中。
合理的に効率を追いかけるあまり、いろいろなものを切り捨ててしまう世の中。
一番最初に切り捨てられるのは、「○○のために」という「慈悲」の心なのかもしれません。
しかしながら、このような時代だからこそ「慈悲」の心を大切にしなくてはならないのではないでしょうか。

○生かされている

 私たちは自分の力だけで生きているわけではありません。
たくさんの人々に助けられ、たくさんの人が作り上げてきた社会の仕組みに守られ、また、大自然からたくさんの「いのち」を分けて頂くことによって「生かされて」います。
私たちは「生かされている」ということに気づき、感謝をする気持ちを持つことができたならば、自然と「誰かのために」とか、「より良い社会にするために」とか、「自然に優しく」といった、「慈悲」の心が生まれてくるのではないでしょうか。

そして、「慈悲」の心から生まれる「知恵」は、さらにすばらしい知恵なのだと思います。


青竜寺は唐代の長安城新昌坊の東南隅にありました。隋の文帝の開皇二年(582年)にこの地に霊感寺が建立されたのに始まります。霊感寺はその後、戦乱のため廃絶しましたが、唐の高宗の竜塑二年(662年)になって、城陽公主が観音寺として復興しました。更に、唐の睿宗の景雲二年(711年)に青竜寺と称するようになりました。この寺は高台にあります。昔は初唐の政治の中心地であった大明宮とこの寺を結ぶ直線の大通りがありました。
 唐の名僧恵果は766年からこの寺に入山しました。この前、彼は大興善寺で長安に居たインドの名僧不空の直弟子として、密教を深く学びました。恵果は青竜寺で住職になり、真言大教を創立した僧です。彼はこの寺でそれを日本や中国の僧に伝授しました。従って、この寺は日本とも深い関係を持っています。
 唐の徳宗貞元二十年(804年)に第十六回の遣唐使に随行した弘法大師空海がここに止まって、東塔院にいた恵果阿闍梨から真言密教を学んで帰国したことは広く知られています。彼は長安で三年間、真言密教を中心に、儒教、道教、医学、音楽及び料理などの知識を勉強して身につけて806年に帰国の途につきました。帰国後、空海は高野山に金剛峰寺を建立して真言宗を確立しました。また、漢字の草書体を利用してひらがなを作ったとも言われ、日本の歴史で弘法大師は三筆と尊称されています。
 唐の高宗顕慶三年(658年)から唐の宣宗大中三年(849年)までの間に日本から19回遣唐使が長安に派遣されています。長安で仏法と諸文化を学んだ著名な(入唐八家)の中の六家、即ち空海、円仁、円行、円珍、恵運、宗睿は青竜寺に入って密教を修行しました。
 空海に因縁ある四国四県と日本の真言宗の門徒衆は、中国仏教協会及び西安市政府の協力の下に、1982年2月、青竜寺遺跡に空海記念碑が建立されました。高さ9.5mの大理石造りの記念碑は三層になっていて、正面には空海記念碑の五文字が金文字で刻まれ、東側には空海の経歴が、西側には記念碑建立の異議が、北側には記念碑建設の経過がそれぞれ刻まれています。記念碑のそばに四つの大きな円形の石燈があります。これは四国四県を象徴しています。記念碑の真正面に回廊に挟まれている展示室があり、空海とその関係文献などが展示されています。
 また、西安市の提唱により、日本の空海崇拝者の協賛を得て、1984年に青竜寺東塔院遺跡に恵果・空海記念堂が再建されました。堂の中には空海と恵果の説法像が並べられています。この記念堂は大雁塔の西側の石門の横木に線彫されている唐代の殿堂図と寺院の本堂の構造を参考にして建立されたものです。そのため、唐代の寺院建築の風格に富んでいます。工事中に古青竜寺の門址、塔址、殿堂の遺跡から出土した唐の蓮花模様の煉瓦、瓦當、鴟尾破片、鍍金小仏像、石刻仏像、唐三彩の皿・碗などがその中に展示されています。

○おわりに

仏教に説かれる「而二不二」は他にもたくさんありますが、今回は「知恵」と「慈悲」だけを紹介させて頂きました。
機会があれば他の「而二不二」もご紹介したいと思います。

 また、皆さんの周りにも「表」と「裏」のような「而二不二」の関係のものはたくさんあると思いますので、探してみてはいかがでしょうか