諸行無常 (しょぎょうむじょう、sabbe-saMkhaaraa-aniccaa, सब्बे संखारा अफिच्चा)
現実存在はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。この場合、諸行とは一切のつくられたもの、有為法をいう。三法印、四法印のひとつ。
涅槃経 に「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅爲樂」とあり、これを諸行無常偈と呼ぶ。雪山童子はこの中の後半偈を聞く為に身を羅刹に捨てしなり。これより雪山偈とも言われる。
「諸行は無常であってこれは生滅の法であり、生滅の法は苦である。」この半偈は流転門。
「この生と滅とを滅しおわって、生なく滅なきを寂滅とす。寂滅は即ち涅槃、是れ楽なり。」
「為楽」というのは、涅槃楽を受けるというのではない。有為の苦に対して寂滅を楽といっているだけである。後半偈は還滅門。
- 生滅の法は苦であるとされているが、生滅するから苦なのではない。生滅する存在であるにもかかわらず、それを常住なものであると観るから苦が生じるのである。この点を忘れてはならないとするのが仏教の基本的立場である。
しばしば弘法大師空海に帰せられてきた「いろは歌」は、この偈を詠んだものであると言われている。
いろはにほへどちりぬるを 諸行無常 わがよたれぞつねならむ 是生滅法 うゐのおくやまけふこえて 生滅滅己 あさきゆめみじゑひもせず 寂滅為楽
パーリ語ではこの偈は次のようである。
諸行無常 aniccaa vata saGkhaara 是性滅法 uppaadavayadhammo 生滅滅已 uppajjitvaa nirujjhanti 寂滅為楽 tesaM ruupasamo sukho
昔、雪山(ヒマラヤ)にひとりの苦行外道がいた。彼は雪山童子と呼ばれた求道者
で、衆生利益のために、自分を犠牲にして顧みず、種々の苦行を修めていた。
しかし、帝釈天(たいしゃくてん)は、そんな雪山童子の法を求める態度に疑い
を持っていた。悟りを開こうとする者は多いが、ほとんどの求道者は、わずかな困難
に出会うと、たちどころに退転してしまう。それは、ちょうど、水に映った月が、
水の動くままに揺らぐようである。多くの者は、鎧や杖で身を固め、物々しいいで
たちで、賊の討伐に向かうけれど、いよいよ敵陣に臨むと、恐怖に駆られて退却する。
同様に、悟りを開こうと固い決意をした人も、生死の魔軍に出会えば、求道の心を失う。
雪山童子の苦行は本物なのだろうか。
車に車輪がふたつあれば、運搬の用に立つ。鳥に双翼があれば、空を飛べる。同様に、
修行者も、戒を保つだけでなく、正真の智慧がなければ、悟りに到ることはない。
はたして、雪山童子が、修行を完成できるだけの人物であるかどうか、試してみよう。
そう思った帝釈天は、見るも恐ろしい羅刹(らせつ=鬼)に姿を変えると、天上から
雪山へ下ってきた。そして、雪山童子の間近までやって来て、立ち止まると、過去世の
仏が説いた偈文(げもん=詩句)の半分を、声高らかに唱えた。
諸行無常 (しょぎょうはむじょうなり)
是生滅法 (これしょうめつのほうなり)
羅刹は、偈文の半分を唱え終わると、四方を見回した。これを聞いた雪山童子は、
大いに喜んだ。それは、まるで、深山で伴とはぐれた旅人が、恐怖とともに闇夜を
彷徨ったあげくに、再び伴と出会ったような思いだった。喉の渇いた人が、冷水に
出会ったようでもあり、長く病床にある人が、名医に逢ったようでもあり、海に溺
れた人が、船に出会ったようでもあった。雪山童子は、辺りを見渡したが、恐ろし
い羅刹以外は、誰もいなかった。
よもやとは思ったが、童子は、羅刹に訊ねた。
「大士よ、あなたはどこで、過去の仏の説いた偈文を聞いたのでしょう。その偈文は、
過去現在未来の三世に渡る仏の教え、真実の道です。世間の人間でさえ、ほとんど、
知ることのない教えです。本当に、どこで、その偈文を聞いたのですか。」
「出家者よ、そんなことを聞いても無駄だ。私は、もう、幾日も食べ物が手に入らな
いので、飢えと乾きで心が乱れて、でたらめを言ったのだ。」
「大士よ、もし、残りの偈文を説いてくれるならば、私は、終生、あなたの弟子に
なります。先ほどの偈文だけでは、字句も不完全だし、義も尽きてはいません。ど
うか、残りの偈文を教えてください。」
「出家者よ、私は、飢え、疲れているから、説くことができないのだ。」
「大士よ、あなたは何を食べるのですか。」
「私の食べ物は、人肉だ。飲み物は、人の生き血だ。」
「大士よ、話は分かりました。残りの偈文を聞くことができたら、私は、この肉体
をあなたに差し上げましょう。たとえ天寿を全うしても、どうせ、私の死体は、
獣か鳥に食われるだけです。しかも、食われたからといって、何の報いがあるわ
けでもありません。それならば、悟りの道を求めるために、この身を捨てる
方が良いでしょう。」
「では何か。わずかな偈文のために、肉体を捨てようと言うのか。しかし、
そうは言っても、誰も信じないだろう。」
「あなたは無智ですね。瓦の器を捨てて、七宝を得ることができるなら、
誰でも喜んで瓦を捨てるでしょう。」
「お前が本当にその身を捨てるというなら、残りの偈文を説いてやろう」。
雪山童子は、羅刹の言葉を聞いて、身につけていた鹿皮を脱いで、
羅刹のために法座を設け、
「大士よ、どうかここにお座り下さい。」
と言うと、合掌してひざまづいて、一心に残りの偈文を求めた。
羅刹は、厳かに残りの偈を説いた。
生滅滅已 (しょうめつめっしおわりて)
寂滅為楽 (じゃくめつをらくとなす)
こう説いてから、羅刹は、約束通り、雪山童子の肉体を求めた。
「出家者よ、お前は、すでに、偈のすべてを聞いた。願いはかなえられた
のだから、約束通り、私に肉体を施してくれ。」
雪山童子は、覚悟の上のことだから、肉体を捨てることに何のためらいも
なかった。しかし、このまま死んでしまっては、他の人々のためにはならない。
そこで、辺りの石や、壁、道や樹木に、手当たり次第に、この偈文を書き留めて
から、死後に身体の露出することを懼れて、衣服を整えると、高い木に登った。
そして、羅刹との約束を守って、地上へと身を投げた。
ところが、雪山童子の身体が、まだ地上に落ちないうちに、羅刹は帝釈天の姿
に還り、空中で童子の身体を受けとめると、地上に置いた。
時に、帝釈天を初め、諸天の人々は足下にひれ伏して、童子にこう言った。
「あなた様は、無量の衆生を利益して、無明の闇の中に、大法の炬(たいまつ)
を燃やそうとする以外には、何も求めようとしない。あなた様こそは、真の菩薩
です。そんなあなた様を苦しめたのも、ただただ、仏の大法を愛すればこそです
。どうか私の懺悔をお聞き届け下さいまして、未来に悟りを得られた暁には、
お救い下さいますようお願い致します。」
半偈のために身を捨てた苦行外道の雪山童子は、後の世の、お釈迦様である。
また、この物語にちなんで、「諸行無常 是生滅法 生滅滅巳 寂滅為楽」
を、雪山偈と呼び慣わしている。
(涅槃経第十三)
