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浦田聖子(うらた・さとこ) 80年12月22日生まれ、佐賀出身。174センチの長身と、バネのある体を生かした強打が売り。共栄学園時代に、全国中学生ベスト4、インターハイ8位。ユース選抜ではアジア大会優勝。99年、NECレッドロケッツに入団、Vリーグ優勝を果たす。02年、ビーチバレーに転向。06年9月現在、日本ランキング4位。
足を取られる砂地を、全身のバネを使って跳ね回る。身長174センチの長い手足を自在に操り、強烈なジャンプサーブを決める。抜群のスタイルで、ビーチで視線を一人占めする“カッコイイ”女が、浦田聖子さん(25)だ。

 今年7月末、これまで日本ランキング1位だった楠原千秋さん(30)とのペアを解散。8月19日から、インドアから転向したばかりの鈴木洋美さん(27)と新ペアを組んだ。初試合はコンビネーションに苦しみ、3戦全敗。だがこんな時こそチャンス。中学の時から、逆境でこそ伸びるタイプなのだ。身長185センチの鈴木さんとの新コンビは、長身を生かして日本にこれまでないプレーが期待できる。北京五輪に向けて“賭け”に出たのだ。

角刈り中高時代、コソコソ通学

 中学1年生の時、父親の転勤で佐賀から千葉へ引っ越し、「東京の学校に通って、おしゃれしたい」と、私立の共栄学園(東京都葛飾区)に編入。中学1年生ですでに身長170センチで、バレー部に誘われると、軽い気持ちで入部した。

 ところが共栄学園は、バレーボール部が全国優勝を何度も飾った名門で、超スパルタ校。入部すると、いきなり命じられたのが、角刈りだった。「おしゃれどころじゃない。恥ずかしくて、早朝や夜の暗い道をコソコソ通学していた」という。

 その上、周りは小学校時代から全国を目指してきた選手ばかり。ローテーション練習では順番を間違え、回転レシーブが出来なくてデングリ返しをし…。「同




年代に差を付けられて、ちきしょう追い抜いてやるって思った」という。サーブが相手コートに届かないほど力も弱かったため、ジャンプサーブを練習し「意地でも、球に体重を乗せようと心がけてましたね」。悔しさが、現在の強烈なジャンプサーブを生んだ。

「いつか勝ってやる」

 高校3年時にはキャプテンも経験したが、「高校でバレーは辞めようと思った」という。気持ちが変化したのは、ユース選抜で出場したアジア大会。身長の高いロシアチームに試合前から「弱いね~」とジェスチャーで示され、「いつか勝ってやる」と闘争心に火がついた。

 さらに、補欠選手として出場した、初のユース選抜ではミスも。試合途中のサーブからコート入りするのは初めてで、緊張からオーバーコートのホームランを打ってしまったのだ。「今まで、交代の選手が初球でミスするとイライラしていた。でも補欠の方がメンタルは難しい。まだまだ私は弱くてバレーを知らないんだ」。そう思うと、バレーへの執念が沸いてきた。

冒険心でビーチへ

 99年、実業団のトップチーム「NECレッドロケッツ」に入団すると、Vリーグで優勝を経験。02年、これからチームの屋台骨を支えるという時期に、ビーチバレーに転向した。もちろん周囲は反対。インドアはメジャースポーツだが、ビーチバレーというとまだマイナーだった。しかしそんな偏見も、プラスに働いた。「冒険心かな。面白そうだし、このスポーツに賭けてみようって思ったんです」という。

 03年にはシドニー五輪代表だった佐伯美香さん(34)とペアを組み、05年にはアテネ五輪代表の楠原さんとペアに。「たった2人でプレーするビーチバレーは、勝った充実感も負けた悔しさもすごい」と魅力にはまり、昨年末には日本ランキング1位を記録した。

 高校の時、体育館に張ってあった「練習は嘘をつかない」という張り紙が印象に残っている。「当時は見たくもなかった張り紙。でも今は、内容ある練習をした分だけ結果が出るもんだなって、しみじみ感じてます」と笑う。

 休みの日には、スーパー銭湯やネイル通いが趣味。同じ所属事務所のプロボウラー、名和秋さんとは大の仲良しで、一緒にスパに通い「レズって言われます」と苦笑いするほどだ。

 困難があるほど、意地とパワーを発揮する。Vリーグ時代には、全日本を狙えるほど才能を高く評価されたが、未知数のビーチバレーを選んだ。さらに北京五輪2年前でのペア替え。あくなき挑戦者として、北京の暑いビーチを目標に見据えている。