丹波哲郎さん死去 霊界へ
映画「砂の器」などで知られる俳優・丹波哲郎さんが24日午後11時27分に肺炎のため、東京・三鷹市内の病院で亡くなった。84歳だった。個性派俳優として豪放磊落(らいらく)に270本以上の映画、テレビドラマに活躍する一方で“霊界の宣伝マン”を自称する霊界研究家でもあった。「死は通過点。あの世はもっと楽しい」と笑顔で逝った。
俳優として活躍するかたわら“霊界の宣伝マン”として注目を集めた丹波哲郎さんが“大霊界”へと旅立った。丹波さんは数年前から心臓弁膜症を患い闘病生活を送っていたが、9月上旬に入り肺炎で東京・三鷹市内の病院に入院。回復に向かっていたが、24日午後9時ごろ、容体が急変し心臓が停止。心臓マッサージなどの応急処置も実らず、午後11時27分、家族に見守られて亡くなった。最期をみとった長男で俳優の丹波義隆(51)は「苦しまず眠るように他界しました。誰にも迷惑をかけることなく丹波哲郎らしい最期となりました」とコメントを寄せた。
丹波さんは終戦後に、外務省嘱託としてGHQ(連合国軍総司令部)で通訳を務めながら中大を卒業した。52年に新東宝の映画「殺人容疑者」でデビューを果たし、甘い端正な顔つきと大柄の体つきを生かした、二枚目の正統派俳優として活躍。「砂の器」「人間革命」「不毛地帯」など数多くの映画に出演。加えて得意な英語を生かし、「第七の暁」「007は二度死ぬ」「太陽にかける橋」など多数の外国作品に出演。当時としては珍しい“国際派スター”としての地位を確立した。その一方で、テレビドラマでも「キイハンター」「Gメン75」で個性的な演技で人気を博した。本人いわく「桓武天皇から新宿のホームレスまでやりました」と幅広い役をこなした。
その一方で、友人をがんで亡くしたことを契機に霊界研究に没頭。“霊界の宣伝マン”を自任し、ベストセラーとなった自著を題材にした映画「大霊界」をプロデュース、自身も出演し話題を呼んだ。「死後の世界はある」と断言し、スピリチュアル・カウンセラーの江原啓之さんと美輪明宏の仲を取り持つなど、霊界研究の第一人者として“普及活動”に身をささげた。
97年に50年近く連れ添った最愛の妻・貞子さんの葬儀では「妻は素晴らしいところへ行った。お前はチョウのように舞っているのだろう。うらやましいね」と独特の表現で別れを告げた。自らの死についても現世からあの世への「乗換駅」との発想から、生前には、宗派には関係ない音楽葬を自宅で開いてほしいと懇願していたという。弔問客の人数の関係で青山葬儀所での葬儀になるが、関係者によると、故人の意思を尊重し「Gメン75」や「キイハンター」のテーマ曲で、妻の待つ「素晴らしいところ」へ旅立つ。
◆丹波 哲郎(たんば・てつろう) 本名・丹波正三郎。1922年7月17日、東京都生まれ。代々伝わる薬剤師の家で育つ。終戦後に外務省嘱託としてGHQ(連合国軍総司令部)の通訳をしながら中大を卒業。51年新東宝入社。後に東映に移籍。59年フリーに。映画出演は約270本。近作では大河ドラマ「義経」にも出演。霊界研究者としての著書は「死者の証明」など約70冊。