<中田英寿引退>語録 05年6月W杯出場決定まで

2006年7月4日(火) 9時59分 

◆中田英寿選手のこれまでの語録
【95年】
5月 Jリーグ・横浜フ戦で初のマン・オブ・ザ・マッチを受賞し、「前の試合でも、(同僚の)野口さんがあんなに点を入れなければ、もらえるかなと思いましたけど」
【97年】
11月 W杯フランス大会アジア第3代表決定戦でイランに勝ち、「(岡野の決勝ゴールに)やっと決めてくれたかと思った」
【98年】
3月 W杯フランス大会後の身の振り方を問われ、「イングランドは接触プレーが多く、体力的に厳しいので、できれば、イタリアかスペインでプレーしたい」
6月 W杯フランス大会を前に「相手のことは考えず、自分の実力を出し切ることを考えたい」
7月 イタリア・ペルージャ移籍会見。「イタリア語に関しては一生懸命勉強しているので、温かく見守ってほしい」
【99年】
5月 イタリアでの1シーズンを振り返り、「日本とはお客さんが違う。そして(新聞の)評価。点が低いとカチンとくるけれど、高いとやりがいになる」
【00年】
1月 セリエAの強豪ローマに移籍が決定し「プロとしてできるだけ自分の可能性を試せる環境でサッカーを続けていきたい」
【01年】
6月 コンフェデ杯決勝進出。「FIFAの公式大会で日本のフル代表が決勝に進むのは初めて。大きな価値のある大会」
7月 パルマへの移籍発表。「昨シーズンはあまり試合に出られなかったので、とにかくプレーがしたかった」
【02年】
6月 一部報道で、W杯日韓大会後に引退と報じられ、「先のことは考えていない。まずロシア戦のことを考えないと」
   日韓共催のW杯に出場。1次リーグのロシア戦でW杯初勝利。「誰が引っ張ったとか、誰がゴールしたではなく、チーム全員で勝利を勝ち取った」
   W杯決勝トーナメント1回戦でトルコに敗れ、「日本はまだ上に行く力があったと思う。次回にはもっといい準備をして、日本の力を見せることが出来ればいい」
10月 ジーコ監督就任後、初の国際Aマッチとなるキリンチャレンジカップのジャマイカ戦で、自身を含む海外組4人で中盤を構成することに「サッカーは4人でやるわけではない」
【03年】
3月 中田をFWとMFの間のポジションで起用するパルマのプランデリ監督に、トップ下での起用を直訴。「自分の特徴が生かせるような中盤をやりたい。たとえ出場機会が減っても、その方が自分のためにもチームのためにもなる」(HPから)
6月 コンフェデレーションズ・カップ1次リーグで敗退。「全体がもっとチャレンジ精神を出せなかったのは残念」
【04年】
1月 ボローニャへ移籍。「自分の目標は、常にプレーしてチームの役に立つことだ」
2月 W杯アジア1次予選初戦のオマーン戦に1―0で辛勝。「W杯の予選に慣れていないところが出た。もう少しみんなが一人一人声を出していかないと」
7月 フィオレンティナへの移籍決定会見。「チームを変えるときはいつも新しい経験だ。ゼロから始める。まるで新人のようだ」
【05年】
3月 W杯アジア最終予選のイラン戦で黒星。「負けたけど仕方ない。前を向かないといけない」
6月 W杯出場を決め、成田市内で帰国会見。「予選突破は、あくまで一番最初の通過点。まだ本大会を勝ち抜く力はない」
[ 7月4日 9時59分 更新 ]