末期ガン患者の魂は救えない | 秘密の扉 夢を現実へと導いてくれる人生。優しい空間スピリチュアル空 人生を信じよう
■知恵と救い
非宗教の知恵では末期ガン患者の魂は救えない
「魂の旅」、「ほんとうの自分」を求める人たちが今いろいろな試みをしています。しかし、「ほんとうの自分」、それは本当のところ「わからない」「見つからない」のではないでしょうか。どんなに優れた心理学や精神分析学や哲学を駆使してみても、「論理」や「実証」といういわば科学的方法論で「ほんとうの自分」を発見することは不可能だと思います。
そこで私たちは、「ほんとうの自分」探しを突き抜けて「魂の救済」にまで至る方法論として、みなさんに「直観」と「信仰」という「宗教」の方法論を提案したいと思います。それが空海の智慧と救いの基本だからです。
「直観」とは「精神集中」によって可能となる「イメージのひらめき」であり、論理を超え実証不可能でありながらよく人々の心の深層において「共有」「共感」を可能にさせる「瞬間的想像力」です。これはいわゆる「修行」と言われる宗教的実践や、「創作」を業とする芸術の仕事や、「訓練」で鍛えられたスポーツの世界では非常に重要な能力です。
私たち(密教の立場で)は、「ほんとうの自分」とは「仏(大日如来)のいのちを生きている小さな生命体」であると認識しています。これは真言密教の命題ですが、実際は「瞑想法」や「観法」の実修で鍛えた「直観」力によって見えてくる世界で、単なる「認識論」や「想像力」では実感できない次元のものです。
「瞑想法」や「観法」はもともとインドのヨーガから発展したものですが、私たちが行うものは「身体の固定」と「仏の観想」と「真言の誦唱」の三つを同時に行うもので、「三密行」あるいは「三密加持」と言います。これを専門的に実修するには、プロのお坊さんにならなければ修行が許可されませんが、「阿字観(あじかん)」や「月輪観(がちりんかん)」といった簡略な「観想法」もあり、一般の方にも許可されております。
ただし、簡略な「観想法」といっても熟練した「師」に従ってやっていただかなければなりませんが、残念なことに「師」の数は多くありません。東京などには「阿字観」の道場が多くあるようですが、まだ若くて未熟な坊さんが「カルチャーセンター」の感覚で「観想法」のまねごとをしている例もありよくご注意ください。
「信仰」とは「絶対者への帰依」「神仏への祈り」によって可能となる「心の安定」「やすらぎ」「幸福感」そして「救い」を得ることであり、論理を超え実証不可能でありながらよく人々の心の深層において「共有」「共感」の実感を可能にさせる「セルフマインドコントロール」です。「信仰」は本来誰にでも可能です。神様仏様に「願いをかけること」や「祈ること」や「おすがりすること」は、人間生きている以上たいていの人は経験することですから。「ほんとうの自分」探しは、「絶対者への帰依」「神仏への祈り」の経験を通じて「魂の救済」へと展開し、「死」を前にした時「死ねばすべてはおしまい」「自分なんていなくなる」なのではなく、「救われゆく私」の「よろこび」を実感させてくれるのだと思います。
「ほんとうの自分」とは「仏(大日如来)のいのちを生きている小さな生命体」です。私たちにとりまして「信仰」とは、私たちの生命の根源である「仏(大日如来)」に帰依し、「祈り」を通じて自分のすべてを「仏(大日如来)」にあずける、そうした意識を「死」の時まで持ちつづけることであります。生命の根源とはつまり「母」、この「母なる仏(大日如来)」のふところに帰っていく「私」。このイメージを身体の実感として確実なものにしていく密教の世界、「魂の旅」は「生きる力」の楽しい旅になりそうです。
「ほんとうの自分」探しの非宗教的ないろいろな方法論、それなりに意味があると思います。しかし、残念ながら例えば「トランスパーソナル心理学」のワークショッブに通ったからといって、末期のガン患者の心や老人保健施設の「死にたい症候群」のお年寄りの心は到底救えません。「自分さがし」「私さがし」はどんな境遇の人であろうと誰でも死ぬまで続きます。人間の「魂の枯渇」に無力な「知」や「方法論」はやはり生き残れないでしょう。空海のおしへはもう1200年以上も生きつづけています
関東最強の霊能力者大空洋海
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