4月10日 駅弁の日
4月10日 駅弁の日
洋数字の「4」と漢数字の「十」を合成すると「弁」の字に見えることから、日本鉄道構内営業中央会が1933(平成5)年に制定しました。
日本初の駅弁登場は、1885(明治18)年7月16日の宇都宮駅という説が有名ですが、夏は弁当がいたみやすいため行楽シーズンの4月が選ばれました。
お弁当に関する昔話
(日本昔話)
おむすびコロリン
福娘童話集より
むかしむかし、木こりのおじいさんは、お昼になったので、切りかぶに腰をかけて、お弁当を食ベることにしました。
「うちのおばあさんがにぎってくれたおむすびは、まったくおいしいからな」
ひとりごとをいいながら、タケの皮の包みを広げたときです。
コロリンと、おむすびが一つ地面に落ちて、コロコロと、そばの穴ヘころがりこんでしまいました。
「おやおや、もったいないことをした」
おじいさんが穴をのぞいてみますと、深い穴の中から、こんな歌が聞こえてきました。
♪おむすびコロリン コロコロリン。
♪コロリンころげて 穴の中。
「ふしぎだなあ。だれが歌っているんだろう?」
こんなきれいな歌声は、今まで聞いたことがありません。
「どれ、もう一つ」
おじいさんは、おむすびをもう一つ、穴の中へ落としてみました。
するとすぐに、歌が返ってきました。
♪おむすびコロリン コロコロリン。
♪コロリンころげて 穴の中。
「これは、おもしろい」
おじいさんは、すっかりうれしくなって、自分は一つも食ベずに、おむすびをぜんぶ穴へ入れてしまいました。
つぎの日、おじいさんは、きのうよりももっとたくさんのおむすびをつくってもらって、山へ登っていきました。
お昼になるのを待って、コロリン、コロリンと、おむすびを穴へ入れてやりました。
そのたびに、穴の中からは、きのうと同じかわいい歌が聞こえました。
「やれやれ、おむすびがおしまいになってしまった。だけど、もっと聞きたいなあ。・・・そうだ、穴の中へ入って、たのんでみることにしよう」
おじいさんは、おむすびのようにコロコロころがりながら、穴の中へ入っていきました。
するとそこには、かぞえきれないほどの、おおぜいのネズミたちがいたのです。
「ようこそ、おじいさん。おいしいおむすびをたくさん、ごちそうさま」
ネズミたちは、小さな頭をさげて、おじいさんにお礼をいいました。
「さあ、今度はわたしたちが、お礼におもちをついてごちそうしますよ」
ネズミたちは、うすときねを持ち出してきて、
♪ペッタン ネズミの おもちつき。
♪ペッタン ペッタン 穴の中。
と、歌いながら、もちつきを始めました。
「これはおいしいおもちだ。歌もおもちも、天下一品(てんかいっぴん)」
おじいさんはごちそうになったうえに、ほしい物をなんでも出してくれるという、打ち出の小づちをおみやげにもらって帰りました。
「おばあさんや、おまえ、なにがほしい?」
と、おじいさんは聞きました。
「そうですねえ。いろいろとほしい物はありますけれど、かわいいあかちゃんがもらえたら、どんなにいいでしょうねえ」
と、おばあさんは答えました。
「よし、やってみよう」
おじいさんが、小づちをひとふりしただけで、おばあさんのひざの上には、もうあかちゃんがのっていました。
もちろん、ちゃんとした人間のあかちゃんです。
おじいさんとおばあさんはあかちゃんを育てながら、仲よく楽しくくらしましたとさ。
おしまい
女性の日
労働省(現在の厚生労働省)が1949(昭和24)年に「婦人の日」として制定。
1998(平成10)年に「女性の日」に改称。
「女性週間」の1日目の日。
婦人参政記念日
1946(昭和21)年、戦後初の総選挙で初めて婦人参政権が行使され、39人の女性代議士が誕生しました。
建具の日,良い戸の日
日本建具組合連合会が1985(昭和60)年に制定。
「良い(4)戸(10)」の語呂合せ。
インテリアを考える日
日本インテリアファブリックス協会「4月10日はインテリアを考える日」実行委員会が制定。
ヨットの日
ヤマハ発動機が制定。
「ヨッ(4)ト(10)」の語呂合せ。
四万十の日
高知県中村市の四万十の日実行委員会が1989(平成元)年に制定。
「し(4)まんと(10)」の語呂合せ。
高知県の四万十川は全長196kmで、本流にダム等がなく、日本最後の清流と言われています。
瀬戸大橋開通記念日
1988(昭和63)年、瀬戸大橋が開通し、本州と四国が橋で結ばれました。
瀬戸大橋は、岡山県倉敷市と香川県坂出市との間の9.4kmの海峡部を結ぶ橋で、道路・鉄道併用の6つの橋から構成されています。
4月9日 大仏の日
4月9日 大仏の日
752(天平勝宝4)年のこの日、奈良・東大寺の大仏開眼供養が行われました。
大仏の納められている大仏殿は世界一大きな木造建築物です。
また大仏は、743(天平15)年に聖武天皇の詔により造営開始、約10年の歳月を要して完成しました。
大仏に関する昔話
(日本昔話)
大仏の目玉
福娘童話集より
「あれ? どこだ? どこにいったんだ?」
ここは、むかしむかしの、奈良の大仏がある東大寺です。
ある日、大仏さまの目玉がぬけおちて、どこヘいったかわかりません。
さっそく、京都や大阪から、大仏づくりの親方たちをよんできて、
「大仏さまの目玉を入れかえるには、どれほどのお金がかかる?」
と、値を見つもらせました。
すると、親方たちは、
「千五百両(1億円ほど)はかかる」
と、いうのです。
親方たちの考えでは、まず下で、大きな目玉をこしらえ、目玉ができたら、足場をくんで、大仏さまの目にはめようというものです。
寺の人たちは、
「高すぎる、千両にまけろ」
と、いいますが、親方たちは、
「それでは赤字です。こちらも商売ですから」
と、いいます。
「まけろ」
「まけられぬ」
「まけろ」
「まけられぬ」
そこへ、江戸からきた見物のひとりが顔を出しました。
「わしなら、二百両(千四百万円ほど)で、直しましょう」
それをきいた親方たちは、
「ばかにもほどがある。なんでこれが、二百両で直せるものか」
と、笑いました。
ところが、江戸の男はこう考えたのです。
(目玉がぬけおちて、見つからんとすりゃあ、大仏さまのからだの中ヘおちたにちがいない。それをはめ直せばいいだけだ)
寺の人たちはお金がないので、江戸の男にたのむことにしました。
男が目玉の穴から中に入ってさがすと、やっぱり目玉がありました。
さっそく、かついで上にあげ、大仏さまの目に、ピタッとはめました。
坊さんや親方たちは、それを見ていましたが、
「あいつ、目玉をはめたはいいが、じぶんはどこから出てくるつもりだ。出口はないはずだが」
と、なおも見ていると、あれ、あれ、あれっ。
なんと、大仏さまの鼻の穴から出てきたのです。
みんなは感心して、
「ほほう、目から鼻へぬけおったわい」
それからです。
かしこい人のことを「目から鼻へぬける」と、言うようになったのは。
おしまい
反核燃の日
青森県労働組合が制定。
1985(昭和60)年、北村青森県知事(当時)が県議会の全員協議会で核燃料サイクル施設の推進を表明しました。
これにより議会の承認を得たとして、それ以後核燃施設の建設が進められて行きました。
左官の日
日本左官業組合連合会が制定。
美術展の日
1667年、パリで世界初の美術展が開催されました。
きょうの誕生花 → アカシア
きょうの誕生日 → 1970年 伊藤美紀 (俳優)
きょうの日本昔話 → だんまりくらべ
きょうの世界昔話 → ウサギのしっぽ
きょうの日本民話 → 人を食わなくなったオニ
きょうのイソップ童話 → 水のかれた沼のカエル
今日の江戸小話 → 身投げ
4月8日 タイヤの日
4月8日 タイヤの日
日本自動車タイヤ協会が、春の全国交通安全運動が行われる4月と、タイヤをイメージした8日を組み合わせて、この日を記念日としました。
第1回目となった2000(平成12)年には全国14カ所でタイヤ点検を行うなどのイベントを実施しました。
花祭り(潅仏会,仏生会,浴仏会)
釈迦の降誕を祝して行う法会。
各地の寺では花御堂を設け、堂の中に水盤を置いて釈迦の立像を中央に安置し、参詣者が御像に甘茶を注いでお参りします。甘茶をかけるのは、釈迦の誕生の時9つの龍が天から清浄の水を注ぎ産湯を使わせたという伝説に由来します。
関西では月遅れの5月8日に行われます。
忠犬ハチ公の日
忠犬ハチ公銅像及び秋田犬群像維持会が制定。1936(昭和11)年から、この日に慰霊祭が行われています。
ハチ公は、東大農学部の上野英三郎博士に飼われていた秋田犬でした。1923(大正12)年に秋田県大館市で生まれ、1924(大正13)年から上野博士に飼われることになりました。上野博士の存命中は、玄関先や門の前で上野博士を見送り、時には渋谷駅まで送り迎えすることもありました。
そして、上野博士が1925(大正14)年5月に突然亡くなった後も、毎日渋谷駅前で主人の帰りを待ち続けました。
主人を慕うハチ公の一途な姿は人々に感銘を与え、忠犬と呼ばれるようになり、1934(昭和9)年4月、渋谷駅前に銅像が建てられました。
銅像の除幕式にはハチ公自身も出席しています。
そして1935(昭和10)年3月8日に10歳余りで一生を終えました。
ハチ公の銅像は第2次大戦中に供出され、現在のものは1947(昭和22)年8月に再建されたものです。
参考書の日
学習書協会が1984(昭和59)年に制定。
花祭りの日であり、全国的に入学式が多いこの日が選ばれました。
折り紙供養の日
折り紙作家の河合豊彰さんが提唱。
ヴィーナスの日
1820年、エーゲ海のメロス島で耕作中の農夫が畑の中からヴィーナス像を発掘しました。
翌年、パリのルーブル美術館が収蔵しました。
「ミロのヴィーナス」として知られており、紀元前100年頃に作られたとされています。