私さ、子どもの頃から30歳ぐらいまで、片付けができない人
実家のときの自分の部屋とか一人暮らしの家とか
テレビ出られそうな、ちょっと信じられんレベルのゴミ屋敷で暮らしてたのね。

で、そんな私がまさかまさか、今はおうちサロンをやってるワケですよ。

まぁ今も、サロンで使ってないプライベート空間はそこまで常にキレイってワケでもないんだけど

まぁ、人間レベルにはなったよね。

確か、初めて片付けたのは実家のとき、
初めての彼氏に
「部屋見たい!写メ送って!」
って言われて。

そうやって、人が来るとか、その時々で片付けなきゃいけない理由ができたときにめっちゃ片付けて
そうこうしてるうちに慣れていった感じ。

最近、片付けられない人は実は脳の器質的な異常が原因だった っていうのがわかってきて
目に見えない障害を持ってる人たちが理解され始めてるけど

私の場合は、結果片付けられるようになってるからそのパターンじゃないんだよね。

で、その汚部屋期からマトモ期への移行中、
キレイにしたと思ったらまたゴミ屋敷にして、って不安定だった時期に

ぐちゃぐちゃをそのまま置いとく自分を、掘り下げてみたのよ。

めんどくさい、とかじゃないねん。
シーツ替えるのとかめんどくさいけど 笑、そういうのじゃなくて

ここにあるものを、そこに戻す
ここに落ちてるものを、ゴミ箱に捨てる

っていう、たった1アクションを「敢えて」やらずにいる、これは何??って。

誰か、分かるかなぁこの感じ?
同じような人いません?

で、掘り下げてそのとき気づいたのが
そのゴミ屋敷プレイは
自分を罰する行為 だったんですよ。

あのね、モノを仕舞い込むよりも出しっぱなしの方が散らかってるけど快適、みたいな感覚の人とは違って
自分でも普通にイヤなの。
汚いのが。臭うのが。

それなのに、そのまま自分を「わざと」そこで過ごさせる。

そうやって、自分を貶めることでどこか安心してたの。
その裏にあったのは、生きてることへの罪悪感
別に今まで、自分の身代わりで誰かが死んだ、とか経験ないよ。

それなのに、自分の奥深くに

自分はこんな人間だから…
汚くて辛いのがちょうどいい…

っていう感覚を持ってて

なんだかんだ、ゴミ屋敷レベルまで自分を落としてるのが、当時気持ちがいちばん安定してたの。

卑屈ぅーーー!!

で、そこからどうやって今に至ったかというと
別に何のトレーニングもしてない。
ただただ、その卑屈な自分に気づいたってだけ。

それだけで充分だった。
生活の要所要所で
「あ、これも卑屈プレイだ。」
って気づいたらもう、
よっぽど疲れてなけりゃゴミを捨てる1アクションぐらいできるもん。
(シーツ交換は別軸。めんどくささとの戦い。)


片付けられない人の中にぜったい昔の私と同じタイプの人いるよ!

もしくは、片付けに限らず
例えば職場でのイジメに耐え続けてるとか
家族のモラハラに耐え続けてるとか

ぜーんぶそう!
罪悪感と、抑圧!

それに気づけばさ、
そうじゃない人生も想像できるようになるからさ。


とか思いながら、床に脱ぎ捨てた靴下を今日もちゃんと回収するのです。